セミナーに参加してきた。
今回はただ参加するだけでなく、参加者の前で少々喋らなくてはいけない手はずとなっていた。
人前で話す以上、それなりに準備は試みた。
原稿こそ作らないが、話すべきキーワードをいくつか列挙する。
パワーポイントも使おうかと思ったが、使いだすと遊びに走る傾向が私にはある。
以前は「スライドばかりに目がいってしまって、内容が全然入ってこない」とよく言われた。
それが狙いと言えば狙いだったので、ある種の褒め言葉として受け取っていた。
が、今回はそうはいかない。
できる限り中身を伝えなければならない、そんな思いがあったわけだ。
ということで、おざなり程度のスライドを数枚用意。
ところがである。
当日の朝、原因不明のフリーズに見舞われる。
再起動してみたものの、なかなか立ち上がってこない。
結局、時間切れで諦めることに。
急いで駅へ向かうと、これまたなぜか電車が来ない。
やっと乗車できたはいいが、誰かが強引に乗ろうとしているのか、ドアが開け閉めを繰り返している。
この日の行く末を暗示しているのだろうか…。
[11回]
話は数週間前のJAC総会へと戻る。
この4月から始まった”安全教育プログラム”について質問してみた。
プログラムの存在自体の知名度・認識度があまりにも低いように感じたからだ。
一応、JACとしては他団体にも通知を出しているらしい。
が、実のところ文書を送るだけで、それ以上のアクションは取っていないようだ。
それ以外では業界紙に記事を載せてもらうくらいだろう。
まあ、通常であればその程度で十分なのかもしれない。
しかしながら、今回は十分どころか十二分にやってもらわないと困る。
おそらく、JACの幹部もわかってはいるのだろう。
ただ、それ以上の手立てが見つからないし、思いつかない。
プログラムの存在を周知できてないという現状は悩ましいところだろう。
その点、私はただの下っ端である。
JACの一会員という“しがらみ”はあるのかもしれないが、それによる“縛り”は殆ど感じていない。
だから、私は様々なセミナーに顔を出している。
JAC以外のセミナーともなれば、参加者の大多数は専門学校卒の先生方である。
完全アウェーのはずなのだが、最近では何度か見かけた顔も少なくなくなってきた。
もっとも、顔と名前が一致しないのは相変わらずなのだが…。
そんな私からすると、“しがらみ”云々ではなく個人レベルで訴えかけた方が早いし確実のように思えた。
所謂“草の根運動”である。
何のツテも術もなければたどり着かない発想なのかもしれない。
まさか「プライドが邪魔して…」なんてことはないだろうし。
そう、JACにプライドなんてあるはずがない。
怒られちゃうかな…。
ふふ。
そんな流れで、今回のセミナーで“草の根運動”をさせてもらうことになったわけだ。
JAC幹部の一部からは「じゃあ、やっておいてよ」などと簡単に言われてしまい、軽くムカつく。
本来はオマエラから主催者側に挨拶するのがスジだろうがよ…。
それでも、別の役員から配布資料を回してもらい、当日に備えた。
とはいえ、JACないしTCCの営利に結びつくモノだけに、無条件にもれなく配布というわけにはいかない。
こちらの訴えかけに応じてくれた希望者に対してのみの配布である。
どれだけ食いついてくるかわからない。
シミュレーションを立てながら期待と不安が脳裏をかすめていく。
そうした中で見舞われたアクシデントだった。
予定時間より少し遅れての到着。
休む間もなくピンマイクを装着し、本番スタート。
原稿もメモも一切ない。
そんな状況下ではあったが、不思議なくらいに緊張はしなかった。
もはや感覚がマヒしているのかもしれない。
ならば、もう少し上手くできたんじゃないかな…という後悔は多少残った。
それ以上に、形にならない多くの思いを感じ取ることができた。
正直、そちらの方が収穫だった。
最も意外だったのが、皆が抱えている“懐疑心”である。
プログラムそのものに対する懐疑心はもちろんあるだろうし、理解もできる。
ただ、その多くはプログラム自体ではなく、プログラムの存続に対してのモノだった。
確かにこの10年、カイロプラクティック業界ではいくつかのプログラムが頓挫している。
マードック然り、JCDCの学位プログラム然り。
傍から見れば、RMITの終焉もそのように思われているのかもしれない。
今回の安全教育プログラムは2018年募集を以って終了とされている。
プログラム自体が言わば“特別措置”の意味合いが強く、よって無期限にダラダラと続けるモノではないからだ。
それでも“終了”という前提は懐疑心を大きく揺さぶっているようだ。
加えて、JACに対しての不信感も大きい。
以前のCSCプログラム開講時、専門学校で教鞭を取っていた先生が申し込みを拒否されるという“事件”があった。
最終的には認められ修了されたのだが、そこに至るまでにかなり苦労をされたと聞いている。
この件について、以前JACの先生に尋ねたことがある。
「まあ、ちゃんと受講できたんだし、いいじゃないか」
この一言でお茶を濁された。
わざわざ濁すってことは、そういうことなのだろう。
時は流れ、今回は他校の出身者に広く門戸を開いている。
曖昧に流れた時間の分だけ、不信感は強く根付いていったのかもしれない。
その根の深さはJACの想像をはるかに凌いでいる。
このギャップを正しく認識しない限り、事態は変化しないまま、また悪戯に時が流れるだけだ。
懐疑心と不信感。
参加を躊躇う人たちの抱く不安に対し、JACにはより誠実な対応が求められる。
言い訳もいらないし、二枚舌もいらない。
濁すくらいなら、お茶もいらない。
紙切れ1枚のFAXや、HP任せのインフォメーションだけでは、もはや話にもならない。
本気にならずして相手を口説き落とせるほど、JACは魅力ある団体じゃねーぞ。
もっと体張れよ、JAC!!
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