カイロプラクターは“揉む”という表現はほとんど使わない。
もちろんケースバイケースではあるが、基本的には避ける表現だと思っているし、そう信じている。
ただ、一般の方々はそんなコトなどお構いなしだ。
我々が行う施術も含め、そのほとんど全てを“揉む”という一言で片づけてくれる。
もちろん、そこには何の悪気の欠片もないのだと思う。
事実、それも取って代わる一般的な言葉など、パッとは思いつかない。
“アジャスト”なんて言われた日にゃあ、同業者と疑ってしまう。
今回は悩ましきカイロプラクティックとカイロプラクターに纏わるお話。
[6回]
ある一本の電話があった。
なんでも「主人の肩凝りがヒドい」という女性からだった。
カイロプラクティック施術の基本は、いわゆる“問診”にある。
初めにしっかりと話を聞くことによって、目に見えない様々なモノが見えてくる。
これによって後の施術の成否が決まると言う先生も少なくない。
そうしたことから、ウチの場合は初回に限り1時間くらいのお時間を頂く旨を伝えている。
原因を突き止めて取り除く、それがカイロプラクティックの基本なのだから。
まして、カイロプラクティック無法地帯の日本である。
事故のリスクを未然に防ぐ意味でも、事前の情報収集は必要不可欠の行為となる。
だからといって、相手の要望に全く応えないわけではない。
時間の限られている方であれば、その与えられた時間の中で最善は尽くすし、その用意も当然できている。
“最高の未完成”とまではいかないまでも、現状を改善させることが不可能だとは思わない。
しかしながら、こうしたこちらの思いが全く通じない場合もある。
今回のこの電話の女性がそういう方だった。
前述の通り、初回はお話を伺ったりするので1時間程度かかると伝えた。
すると、次のように返された。
「えーっと、それってつまり、今日行ってもすぐには揉んでもらえないってことですか??」
ややではあるが、カチンときた。
この場合の“揉む”には決して深い意味は含まれていない。
解っている。
解っている。
けれども、頭に引っかかってくる。
我ながら器が小さいヤツだと思う。
気持ちを落ち着かせて説明を続ける。
原因を突き止めた上で施術を行う、と。
そうすると、今度はこのような言葉が返ってきた。
「要は、対処療法はしないってことですね??」
対処療法??
そんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。
カイロプラクティックは対処療法ではない。
できないわけではないが、「する」か「しない」かで問われた場合、「する」とは答えられない。
そうでなければカイロプラクターとしてスジが通らない。
結果として、「またお電話します」と半笑い気味に言われ電話は切られた。
おそらく「話が噛み合わねぇな、コイツ」くらいに思われたのだろう。
まあ、それはこっちのセリフでもあるのだが…。
それでも、こちらに呼び込むことはできたのではないか。
結果を出すのがカイロプラクティックである。
結果さえ出せば、噛み合ってなかった話も噛み合わせることが可能だったのではないか…。
業績不振からV字回復を果たしたユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)。
真っ先に手をつけたのが、“こだわりを捨てる”ことだったという。
「結果の出ないこだわりは、間違ったこだわりである」
USJの方がテレビのインタビューでこのようなことを言われていた。
この“間違ったこだわり”を捨てることで、USJの業績は回復へと向かったわけである。
これと同様のことがハウステンボスでも起こっている。
確かに業績面だけにフォーカスすれば、それはその通りなのだろう。
ただ、それをそのままカイロプラクティック業界に当てはめるわけにはいかない。
売り上げさえ伸びればカイロプラクティックでもなんでも構わないことになってしまうからだ。
カイロプラクティックは結果を出せる。
それは身をもって知っている。
とはいえ、その結果がそのまま業績面での結果に繋がるとは限らない。
これもまた身をもって知らされている。
では、カイロプラクティックにこだわることは間違ったこだわりなのだろうか??
盛業しているとされるカイロプラクティック・オフィスも当然ある。
が、その多くはカイロプラクティックだけでなく、“+α”の形態をとっているように思える。
その場合、この“+α”こそがウリで、カイロプラクティックは二の次扱いの印象が強い。
メディアでの扱いも同様だ。
カイロプラクターとして登場しても、取り上げられるのは“+α”の面ばかり。
カイロプラクティックを語ることはほぼ無いに等しい。
つまり、カイロプラクティックそのものの需要が無いのである。
一般の方々からも、メディアからも、そして下手をするとカイロプラクターからも必要とされていない。
それが日本におけるカイロプラクティックの現状なのかもしれない。
少なくても需要がある限りカイロプラクティックにこだわり続ける。
そんな理想をだらだらと掲げていられるのは一部の金持ちだけだ。
まず食えなければ、こだわりたくてもこだわれない。
カイロプラクティックにこだわることができるのはカイロプラクターだけ。
それ故、こだわり続けることで苦労しているカイロプラクターも少なくないはずだ。
ならば、まずはカイロプラクティックがいかに魅力的であるかを前面に出さなければならない。
カイロプラクティックの有効性、加えてその面白さをより強く訴えていく必要がある。
結果を出し、特に若い人たちが「カイロプラクターになりたい!!」と思うくらいに。
そうした行動を起こすに際し、D.C.だの国際基準だの、はたまた専門学校卒だのはもはや関係ない話ではないのか。
カイロプラクティックのアイデンティティ損失危機を前にして、D.C.だ、ノンD.C.だなどと言っているのは滑稽としか言いようがない。
今、何が重要なのか
今、何が必要とされているのか
そして、今、何をすべきなのか
当然、異論もあるだろうし、なければオカシイ。
それも含めて、改めて考えてほしいと思う。
カイロプラクティックをやってるカイロプラクターならね。
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