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この10月から11月にかけて、ほぼ毎週末をセミナーに追われていた。
体力と内臓的にはかなりしんどかったが、何とか乗り切ることができた。
あとは、それらセミナーで習った内容をどう生かしていくかである。

アメリカと違い、日本で毎週末カイロプラクティックのセミナーに参加するというのは稀なことだと思う。
まして、学生を離れてからともなれば尚更だ。
もっとも、日本で学生がセミナーに参加するというのは金銭的にかなり難しいのだが…。

ま、それ以前にセミナーそのものの数が少ないんだけどね。

今回、私が毎週末参加してきたということは、当然JAC主催以外のセミナーが含まれていることを意味している。
参加者は被らずとも協賛している業者の方は被ってしまうことが多く、こちらとはもはや顔馴染み状態。

ということは、各セミナーでの違いなどを肌で感じているのは、業者を除けば私くらいのものなのかもしれない。
特にJACと非JACの主催セミナーの対比ともなれば尚更である。

もちろん、内容が同じわけではないので単純比較はできない。
それでも、明確な違いを感じることができるのだ。
 
今回はその辺りを少し触れていきたいと思う。

拍手[9回]

セミナーの内容をコロッケに例えて話を進めてみる。
何故コロッケかという、そこに深い意味はない。

セミナーの講師陣が一流どころというのは、JACでもそれ以外のセミナーでも共通している。
一流どころは様々な見せ方を駆使して、美味しいコロッケを提供してくれる。

JACのセミナーには参加資格が設けてあるため、それなりの知識と経験のある少数の者達が集う。
その所為なのか、はたまた勝手に構築したプライドの所為なのか、美味しいコロッケを出されてもリアクションが薄い。
変な話、「美味しい」と言うのが恥ずかしいかのような、そんな感じ。

ただ、好奇心は旺盛なので、自分でも真似をすることでスゴさを実感し、そのコロッケを再現しようという熱はかなり高い。
各人が各人なりのレシピを頭の中で構築し、決して口外することなく自分のモノにしようとするところも、また特徴的だ。

一方、JAC以外のセミナーでは参加者のリアクションが大きい。
失礼ながら知識が十分とまでは言えない参加者もおり、目の当たりにした講師が少々面食らう場面にもよく出くわす。
それでも新たな知識を吸収しようという圧は強く、向上心は感じられる。

にもかかわらず、その多くは仕事が雑だったりする。
そして、その雑さ加減に本人が全く気付いていない。

そのことを講師から指摘されると不機嫌になり、逆ギレ一歩手前なんて人もたまに見かける。
これもまた、ある種のプライドがそうさせるのだろう。

個人差もあるため、JACとJAC以外とのどっちがどっちといったことは一概には言えない。
その中で言えることがあるとしたら、再現熱の温度差だろうか。

片や忠実に再現して、その上でオリジナルを加えていこうと考える。
そして、片や大まかに再現して、その大まかさをオリジナルとしようと考える。

要は、再現できると思っているか、できないと思っているか。
この違い、想像以上に大きいモノがある。
 
仮に再現できたとすれば、それだけで立派な一品となる。
その上で改良を重ねることで、更なる逸品を生み出すことが可能となっていく。

ところが、大まかに再現した場合、それだけでは商品に値しない場合が多い。
そこに味付けを施したところで、せいぜい一品完成するかしないかである。
稀に奇跡的に極上のモノが生まれる可能性はあるが、それ以上の発展は望めない。

それ以上に“食中毒”という名の事故の発生が最も危惧される。
近年、JAC以外のセミナーでは検査の重要性を口酸っぱく説かれているように感じる。
それに対し、受講者側の反応は思いのほか薄い。

とどのつまりは、ベースとなる教育の必要性という、お決まりの話へと繋がっていく。
職人気質も悪くはないが、後世に伝えていくという観点からすれば効率の悪さ極まりない。
法制化も視野に入れるのであれば、教育機関の再整備は必要不可欠となるだろう。

ただ、そのことに関しても超えるべきハードルは高い。
たとえば、嘗てのCSCのような教育コースが設けられたとする。
そこへ率先して受講を希望する先生が今どれくらいいるものだろうか??

また、手を挙げれば誰でも受講できるのであろうか??
CSC時代にも物議を醸したとされる、他校で教鞭をとる者に対してはどう対処するのか。
突き詰めていけば他にも様々な問題点が浮かび上がってくるに違いない。
 
それでも、門戸は開かれなければならない。
更には、そこに手を挙げさせ受講させなければならない。
そこまでしなければ、今後何年経ってもそのままだ。

以前、“国際基準”の登場により、学位の有無といった意識レベルの底上げがもたらされた。
それ以降は目覚ましい変化もなく、マードック大学日本校の閉鎖など、徐々に負の方向へ。
そこに柔整の規制緩和の影響からか、志望者が減少の一途を辿り今日へと至っている。
 
カイロプラクティックの更なる底上げを考えるのであれば、ハッキリ言って今しかない。
その点に関して、JAC並びにTCCには大いに期待するものである。
カイロプラクターとしての更なる向上を目指し、受講する先生の多さにもまた期待したい。

カイロプラクティックの未来と、カイロプラクターとしての将来。
先のことを考えた時、取るべき行動は明らかとなるはずだ。

目先のことだけに捉われていても、将来がなければ目先もすぐに見えなくなる。
物事のプランは逆算して組み立てていった方がいい。

自らのカイロプラクターとしてのレベルを1段もしくはそれ以上上げる。
それはカイロプラクティックそのもののレベルを上げることへと繋がっていくのだ。
  
どこででも美味しい“コロッケ”が味わえる。
そんな環境であることが望ましい。
  
もう粗雑なコロッケなんか、いらんのだ。
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