このブログをお読みの方はご存じの通りかと思うが、私は基本引き籠りである。
そのため、世の流れに疎いところがある。
先日、久しぶりに外気を吸い、ついでに身体に悪そうなモノを店内にて食していた。
何度となく利用している店なので、そこからの景色も何となく記憶している。
そんな中、とあるビルの1室が目に留まった。
確か窓を覆うような感じでデカデカと店をアピールしていたところだったはず…。
ところが、貼られていた紙もなく、どことなく閑散としているように見えた。
気になったので、ネットでチェックしてみる。
アクセスはできたが、そこには閉店を知らせる文言が並んでいた。
どうやら、もう2月近くも前に閉められたらしい。
また1件、カイロプラクティック・オフィスが無くなった。
[5回]
細かく書くと特定されてしまうのだが、HPには一身上の都合で帰省する旨が記載されていた。
そう書く以上、きっとそういう理由なのだろう。
が、営業的に成功を収めていて、そこまでの英断を下さるものなのかな…と、穿った見方をしてしまう。
今から思えば、そのオフィスは年がら年中キャンペーンを打って出ていた感があった。
私が気づいた最後の頃は“初回¥1,000”をウリに営業していたと思う。
『やっていけんのかな…』と思っていたら案の定…、といった感じである。
そこの先生とは個人的に接点もなければ、偵察に行ったこともない。
もっとも、偵察なんぞやったこともないが…。
なので、肝心の腕前も今となっては知る由もない。
まあ、簡単に“上手”“下手”とは言うものの、それをどうやって決めているのかは正直わからない。
例えば100m走であれば、先にゴールしたら勝ちだ。
ベストタイムを下回っても勝てる時はあるし、逆にベストを叩き出しても勝てない時はある。
となると、判断基準は見た目がほとんどである。
あとは音だろうか。
「音なんか関係ねぇ」と言いながら、その音の質で判断しているところは否定できないのではないか。
もちろん、利用者の印象というのも大きい。
それが、やがては口コミという形で拡散していく。
構図としては昔ながらでも、ネット社会となった現代ではその拡散の幅とスピードがハンパではない。
この口コミ、意外と無視できないところがある。
というのも、私たちカイロプラクターとは違う視点から見ているからだ。
施術をする側とされる側なので、違って当たり前。
その“当たり前”を、私たちは結構忘れがちになる。
多くの場合、施術された側がそのテクニックの“上手”“下手”を判断できるとは思えない。
まあ、“下手”がバレることはあっても、“上手”かどうかはまず分からないだろう。
となると、一般の人の判断基準はどこにあるのか??
簡単なことだ。
結果が全てである。
結果が出せた先生は“上手”なのだ。
テクニックが上手いから良い結果が出せる。
カイロプラクターはそう考えがちだ。
「あとはイネイトの赴くままに」との観点に立てば、強ち間違いではない。
しかし、求められているのは結果である。
カイロプラクティックに対しての需要と供給の一致は不可欠。
そこに結果が伴って初めて、一定の“成功”と言えるのではないか。
とは言うものの、テクニックの上手さと営業とが必ずしも結びつくとは限らない。
中には生活のため辞めざるを得ないというケースだって有り得る。
先のオフィスとほぼ時を同じくして、とあるオフィスがブログにて店を閉じる宣言をした。
数ヶ月前には「理想のオフィスになった」と書いていたのに…。
まさに“理想”と“現実”といったところだろうか。
突然の発表に、多くの人が労いのコメントを寄せていた。
対する返信の中で、本人が残していたコメントが気になった。
「何かが足りなかったんだと思う。
でも、それが何だったのかはわからない」
正確ではないが、このような旨の内容だった。
改めて見直せばいいのだろうが、そこまでしようという気力はない。
「何だか分からない」とあるが、私には何となくだが、分かる。
というか、分かったつもりでいる。
結局のところ、軸が無かったのだと思う。
オフィスのHPの中ではカイロプラクティックを行うと書いてある。
店の看板にも“カイロプラクティック”の文字がある。
その一方で、同じくオフィスのブログの中ではカイロプラクティックに否定的な文言を連ねていた。
カイロプラクティックを否定しながら、カイロプラクティックをやる??
じゃあ、このヒトは一体何をするんだろう??
そんな不安を与えられて、誰がそこに行こうと思うのか。
ブログは、書き手が思うほど読まれてはいないものの、それでも結構読まれているモノである。
変な話、このブログだって予想に反して読まれているのだ。
ブログの存在を前面に押し出していないにもかかわらずである。
書かれていたブログを読む限り、結果もそれなりに出せていたように思えた。
需要・供給・結果のうち、圧倒的に需要が少なかったことになる。
要は、明らかに“魅せ方”の失敗であろう。
モッタイナイ話である。
まあ、結果が出せるのであれば、そのうちそれなりの成功は収められるのではないだろうか。
本人の思いは定かでないが、少なくとも私に言わせれば、その先生はカイロプラクターではないわけで…。
よって、その行く末には興味の欠片もない。
と、あたかも日本カイロプラクティック業界の現状の一端を垣間見たので、軽く嘆いてみた。
しかしながら、憂うことばかりではない。
この長引く不況の中、開業まで漕ぎ着けた面々も少なくないのである。
先日もある先生に細やかな小物を勝手に送りつけたばっかりだ。
とか書いている最中、別の人も開業することを知った。
さらには結婚もするとかしないとか…。
ふーっ…。
取り敢えず、やるコトをやるか。
ちゃんとカイロプラクティックしなさい。
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