私はこれまで、それなりの時間をかけてカイロプラクティックを勉強してきた。
カイロプラクターになるまでに費やした時間に関してだけは、他の追随を許していないと思う
学校にしても、大学レベルでいくつかを渡り歩いてきた。
普通であれば1校で済ませるところであるから、何の自慢にもならない。
しかしながら、一口で言う「カイロプラクティック」とそのフィロソフィーが多様であることを、実際に肌で感じることが出来た。
これは、何にも勝るであろう、私だけの経験だ。
それこそ、何人足りとも追随は許していないはずである。
ほとんどのカイロプラクターが1つの学校で勉強を始め、修了していく。
カイロプラクティック・フィロソフィーに関しても、まずはその学校を通して初めて触れることとなる。
後は本やテキストによる独学と、先輩である先生方を通しての臨床から得られる影響が大きい。
様々な捉え方・考え方を消化・吸収することで、自分なりのフィロソフィーが確立されていく。
自分なりのフィロソフィーがあって初めて、愛のあるアジャストメントが出来ると、個人的には考えている。
ストレート・カイロプラクターからすれば苦笑モノの発言かもしれないが、それで良いと思う。
ただ、いくら「自分なり」とはいえ、カイロプラクティックそのもののフィロソフィーを歪めてはならない。
「時代によって変化して然るべきモノ」と言う人もいるが、私には都合のいい詭弁としか聞こえない。
この点に関しては、ストレートもミキサーも関係なく、共通の認識であるべきだ。
これらを踏まえた上で、インターネット上におけるカイロプラクティックの現状を考えてみる。
[1回]
繰り返し書いているようだが、今はインターネットで何でも調べられる。
最近は携帯も進化し、文字通りいつでもどこでも検索が可能となった。
キーワードを入力して検索すると、大体の場合、上位にWikipediaの記述が現れてくる。
それは「カイロプラクティック」に関しても例外ではない。
ただ、カイロプラクティックの場合、結構難しいことが書かれている。
それだけならまだしも、恣意的な記述も随所から読み取ることが出来、中立的な物言いとは言い難い。
よって、私個人としてはあまりお勧めしない。
同じ恣意的なら、各人のHPやブログを見た方がいい。
内容はともかく、書いた本人が特定できるため、見る側にしても判断がしやすいように思える。
一般的には…ね。
残念ながら、ことカイロプラクティックに関してはそうもいかない。
むしろ、ネットで調べれば調べるほど混乱を招く。
それくらいに記述内容が錯綜している。
「カイロプラクティック(整体)」という記載があるところは、まず怪しい。
整体もしくは他業種からカイロプラクティックに入った人である可能性が高い。
カイロプラクティックからスタートしたカイロプラクターは、整体と同一扱いされることを嫌う。
その根底にあるフィロソフィーがそうさせているのだと、個人的には思っている。
もっとも、フィロソフィーを教えない学校もあるので、一概には言えないのだが…。
そのフィロソフィーに関して、多くのページやテキストを費やしているサイトもある。
一見しっかりというか、マジメにカイロプラクティックをやっているように見える。
が、実際は教科書のまる写しかもしれない。
最悪、他の先生のサイトのまる写しというケースも、以前は少なくなかった。
臆面もなくコピーできるのは、カイロプラクティックに対する思い入れが全く無いことの裏返しと言えよう。
重要なのは、その先生自身にフィロソフィーがあるのかどうかである。
こればっかりは実際に話をしてみないと分からない。
まあ、一般の人の場合は話をしたところで解りようもないわけだが…。
年に1回くらいだろうか、やたらとカイロプラクティックに関して質問してくる方がオフィスを訪れてくる。
「学生かな?? スパイかな??」と、疑心暗鬼ほどではないが、結構緊張感が走る。
「よくご存じですね??」と、こっちから聞き返したりもするのだが…。
学生や同業者はともかく、もっと一般の人が拠り所にできる判断材料を提供していかなければならない。
会話のできないインターネットなら、尚更だ。
中には、先生とのメールのやり取りで来訪を決めるというケースもあるだろう。
ただ、メールのやり取りというのは、口で言うほど簡単ではない。
それについては、またそのうちに。
一般的に、「アメリカで勉強した」という文言は、第一印象としては吉かもしれない。
「学位持ち」はどの程度に思われるモノなのか。
到底、私達には推し量ることさえできない。
まずは、施術側と利用者側とのギャップを最低限に止めること。
逆に、誤解を生じさせるような言動や行為は慎まなければならない。
それは、インターネット上における表現に関しても同様だ。
カイロプラクティックの場合、利用者自身の努力もある程度求められる。
それには、カイロプラクティックに対する正しい認識が不可欠だ。
それ無くしては、効果も半減といったところではないだろうか。
私たちカイロプラクターは、利用者によって育てられていく。
その一方で、私達も利用者1人1人を育てていかなくてはならない。
そうすることで、カイロプラクティックそのものも日本において成長していくことが出来るのだ。
最後にもう1度。
カイロプラクター自らが誤解を招く所作を行ってはならないのである。
そうした諸々を含めて、
ちゃんとカイロプラクティックしなさい。
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