ウチはカイロプラクティックが家業となる。
私はその後継ぎになる。
所謂、二代目だ。
小学生の頃、親の仕事に関して発表したり、作文を書いたりする授業があった。
当時の感覚で、それらの授業が死ぬほど嫌いだったことを覚えている。
小学低学年の私に”カイロプラクティック”が説明できるわけがない。
それ以前に、”カイロプラクティック”が言えない。
何も知らない同級生から「カイロ“プラスチック”だろ??」と言われ、そう言い直したことも何度かあった。
唯一の利点は、作文で”カイロプラクティック”と書くと字数が稼げるというところだ。
だから、やたらと“カイロプラクティック”と繰り返し書きまくった記憶がある。
そんなカイロプラクティックを生業とするなど、考えもしなかった。
“跡継ぎ”なんて言葉も、次男坊にとっては無縁なモノと信じて疑わなかったし。
ありきたりな表現ではあるけれど、人生どっちにどう転ぶか全くわからない。
[8回]
カイロプラクティックの歴史をひも解いていくと、親子間における確執問題が出てくる。
そう、カイロプラクティックの創始者であるD.D.とその息子B.J.のパーマー親子である。
まあ、このブログを訪れるような人にとっては知ってて当たり前のような話であろう。
とはいえ、その経緯については諸説あるようで、ネットから得られる情報もまちまちだったりする。
共通しているのは、D.D.が亡くなる前には関係が修復されていたという点だろうか。
カイロプラクティック創成期の話であり、その確執もハンパではなかったのかもしれない。
カイロプラクティックが日本に伝わって100年以上の時が流れた。
となれば、日本でも親子でカイロプラクターというケースはそこそこある。
中には「16歳の時に決めた」らしく、カイロプラクターになるために留学した人もいた。
それでも親子間での確執はあるのだと思う。
単なる親子ゲンカとは違う、カイロプラクター同士のぶつかり合いである。
こればっかりは当事者同士でしか解りようがないため、タチの悪い争いとも言えよう。
以前、「親子で一緒に働くのって、どんな感じなの??」と聞かれたことがある。
この何気ない“どんな”の中にどのような含みがあっての発言なのか、その真意が定かでなかったので言葉を濁した覚えがある。
確かに、その境遇になければ一生知り得ない状況なだけに、興味本位の“どんな”も分からないではない。
言うまでもないが、例に違わずウチでも確執はあった。
片や、カイロプラクティックに理解のない時代から40年生き抜いてきたという自負がある。
片や、本場アメリカで渡り歩きながら学んできたという自負がある。
ぶつからないはずがない。
正直、一緒に働くのは無理なのではないか…と思わざるを得ないところまでいった。
それでも、互いの貪欲さがその確執を上回った。
片や日本では知りえない技術を求め、片や日本で生き抜く術を求めた。
言葉は悪いが、父親の年甲斐もない貪欲さによって救われたように思う。
ウチでさえそうなのだから、業界内に名の通った家系ともなれば、さぞかし大変なコトであろう。
狭い業界だけに、単なる“ネームバリュー”以上の威光を否応無しに浴びせられてしまうわけだ。
もちろん、名前だけで得をする面もあるとは思う。
“顔パス”ならぬ“名前パス”というのは、カイロプラクティック業界の中ではかなりの限られた話である。
それだけでも、相当スゴい。
ただ、その分もしくはそれ以上の“目”に晒されるというのもまた事実だろう。
どうしたって、“親”のフィルターを介して見られてしまう。
所謂“2世あるある”とはいえ、世界が狭い分フィルターがややキツめに設定されているように思える。
ちなみに、ウチへのフィルターはそこまではキツくないような気がしている。
それでも限りなくクロに近いグレーな私であるから、フィルターなんぞ通したら何も映らないのではないか。
まあ、それはそれでアリだな。
このブログもしばらくは安泰だね。
一般的に、動物には文化が育たないらしい。
寿命の関係で祖父母と孫が接点を持つ可能性が少ないからだ。
そのため、親と子の関係が繰り返されるのみで、それ以前から続く伝統が受け継がれることがない。
そんな伝統の継承に関して、よく言われ聞かれるのが以下の文言だ。
初代はアイデアマンで、一代にて財を成す。
二代目はその後を継ぎ、業績を伸ばす。
三代目は優秀だが、身上を潰す。
三代目ともなると先代たちの苦労も知らずにお稽古事に勤しむため、結果的にお家を潰すということだ。
実際、これに当てはまるケースは少なくない。
そして、それに対するコメントも大抵は月並みなモノに終始する。
というのも、大抵の人は“初代”となるわけで、アイデアを生み出すのに必死となっている。
それに対して、三代目ともなると大した苦労もなくスタートラインに立ててしまうこと。
加えて、外から見れば“確執”とか言っても所詮は親子ゲンカの延長程度にしか思われないのかもしれない。
以前、ある人から面と向かって言われたことがある。
「贅沢な悩みだと思いますよ、そんなモン」
正直、もの凄く頭にきた。
もう何年も前の話ではあるが、今でも鮮明に覚えている。
それでも、当事者でない人からするとそういう風にしか見えないのかもしれない。
………、そうか、今回は極々狭い範囲を対象とした内容になっているんだな…。
JACの下っ端として活動をしていると、古くから活躍されている先生方とお会いする機会が増えた。
「あの先生のDNAが受け継がれていたのか…」
「先生に似て、良い手をしているね」
業界内でそれほど名の知れた人物ではないが、そう言われるのは息子として悪い気はない。
ただ、数年前だったら逆にプレッシャーに感じていたことだろう。
ちょっと前に、私が「看板に泥を塗っている」という書き込みがあった。
実際のところはどうだかわからないが、このことはそれ以前から常に頭のどこかに残っている。
以前は、看板に泥を塗らないことだけを考えて行動していた。
今では、最悪看板に泥を塗ってしまうかもしれない、その覚悟の上で行動している。
プレッシャーも必要以上には感じない。
感じることでマイナスに作用することはあっても、然程プラスには働かないような気がする。
行動を起こすとき、何事においてもリスクは付き物である。
リスク無くしてできることなど限られているし、その程度で求めるモノが手に入るとは思えない。
あまりクローズアップされないが、伝統を守ることにもそれ相応のリスクがある。
守るためには時代の流れに逆らわざるを得ない場合もあるからだ。
プレッシャー
リスク
そして、ストレス
バランス感覚がモノをいうのかもしれないな。
ま、選ばれし者だけの贅沢な悩みらしいから、せいぜい楽しんでやるか。
よーし、やろやろ。
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