何かの対談番組だっただろうか、ある言葉が紹介されていた。
「あ・い・う・え・お を大切に生きる」
この「あ・い・う・え・お」とはそれぞれ“愛”“命”“運”“縁”“恩”を意味している。
そして、“愛”と“命”はもちろん、“縁”と“恩”を大切にして初めて、“運”がついてくるのだという。
なるほどなーと思った。
その上で、自分自身についても考えさせられた。
まず、“愛”は圧倒的に、そして絶対的に足りない。
また、“命”を大切にしているのなら、もう少し運動するような…。
“縁”は自分なりには大切にしているつもり。
ただ、“恩”はそれに比べて不十分だろうか。
その割に、“運”は割とついている方だと思う。
これまでの人生でもそれなりの窮地に見舞われてきたものの、どん底までには落ちないと信じていた。
全く以って根拠のない自信ではあるが、これはホントにそう思っている。
結果、今の自分がある。
あらゆる方面で信じられない程の“縁”に恵まれ、それに対する“恩”は既に計り知れない。
それらを総じて“運”だと称してきた。
ある人は言う。
その“運”をモノにできるのが“実力”なのだという。
実力のない者は運だけで終わる。
つまり、運が尽きればそれまで、ということだ。
ここはひとつ、運に見放されないよう実力をつけていかなくては…。
何せ、“愛”には期待できんからの…。
[4回]
実力をつけるには、頑張らないといけない。
この“頑張る”という表現もまた、クセモノだ。
“頑張る”には、「困難に耐え、努力してやり通す」旨の意味がある。
そのため、本来ならばそう軽々しく使う言葉ではない。
が、いつの頃からか 割と軽々しく使っているような気がする。
ちなみに、私は頑張るのが嫌い。
当然、言われるのも嫌い。
だから、自分からはなるべく言わないようにしている。
何人が気づいているかは分からない。
おそらく誰も気づいていないだろう。
そこまで私を興味深く観察している人がいるとは思えない。
なので、この場を借りてカミングアウトしておく。
私が『頑張って下さい』と声にして発する時、かなりの高確率で口籠っている。
誰に指摘をされた訳でもなく、本人にその自覚があるのだから間違いない。
そもそも、私が『頑張って』という場合、その言葉の中に心はほとんどこもってない。
もちろん、心からの応援として発する時もあるが、それは表現やニュアンスを持って伝える以外に手立てがない。
まして、こうして活字にしてしまうと、思いのほか伝わりにくいものとなってしまう。
多くの場合、その場その場での適切な言葉が見つからなかった挙句の、単なる取り繕いの表現だったりする。
でも、実際そんなもんではないのかとも思っている。
それくらいに、軽々しく用いられている言葉になってしまっている。
そんな中、特に先の震災を機にしてか、“頑張る”ことに対する1つの警鐘が鳴らされた。
「頑張っている人に頑張れというのは残酷」というモノだ。
確かに一理あるとは思うが、それを軽々しく口にするような昨今の風潮は好きになれない。
言葉に対し、皆が皆同じ受け取り方をするわけではない。
中にはここぞという時、一心不乱に動く人や動ける人がいる。
そういう人は「頑張れ!!」という声援を励みにできる。
要は、心配りや気配りを言葉に乗せて伝えようとしているかどうかではないか。
あまりにも言葉を軽んじて使うから誤解を招くのだ。
そう、言葉が軽くなったのではない。
使う側が軽くなりすぎたのだ。
これは“ゆとり”以前の問題だろうな。
ちなみに、私にとって最大級の表現となるのが『テキトーに頑張って』というモノだ。
他人はどう受け取るのかわからないが、個人的には一番しっくりくるし、それだけに気が楽になる。
“頑張る”同様に、私の中でしっくりこない言葉として“努力”が挙げられる。
そもそも、“努力”という言葉は自分以外の人が第三者として用いる表現だと思っていた。
例えば、試験前に“努力”をして臨んだとしても、他がそれ以上の“努力”を積んでいたなんて多々あること。
当然、その“努力”は報われない。
結果、「自分なりの“努力”」という、訳の分からない表現が生まれてくる。
「頑張ったのに…」
「努力したのに…」
耳にする度、感じずにはいられなかった違和感。
しかしながら、長年感じていたこの奇妙な感覚を打ち砕いてくれる言葉と、ついに巡り合うことができた。
「報われない努力があるというのなら、それはまだ努力とは呼べない」
これは王貞治・現福岡ソフトバンク・ホークス会長の言葉である。
王サンの言葉だけに、その重みは一気に増してくる。
あの王サンにこう言われてしまったら、何人たりとも反論の余地はないだろう。
そうだ、そういうことなのだ。
やはり“努力”は生半可なモノではないのである。
納得いく反面、“努力”のシンドさに打ちのめされそうに思える。
私のようなアマちゃんには無理な話かと…。
そう思っていたら、次のような言葉に出合った。
「才能はたぶん努力でできるものであり、それを継続できる人が夢の実現を可能にするのです」
何となくではあるが、どこか救われたような気がした。
『オレもまだまだイケるかも…』と、自らの可能性をも感じさせてもらえた。
と同時に、『オレもまだまだなんだな…』と、改めて自覚させられたわけだが…。
まあ、うだうだ考え思いを巡らせているより、まずは前に進もう。
向き不向きよりも、前向きに。
後ろを向いたところで、そこに夢はない。
自分のまだ見ぬ才能に出合える。
それだけでも結構ワクワクさせられるではないか。
あとは時間との闘いだな。
2012年。
まずは“愛”と“命”から見直してみるか。
ふふ。
では、良いお年を。
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