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新しい年が始まった。

思えば、文字通り“激震”の走った2011年。
そこから、まるでブームのように広がった、考えも中身もない自粛ムード。
これらが、先の見えない景気停滞に更なる拍車をかけたようにさえ感じる。

どんよりとした重たい空気は情報さえも妨げているのだろうか。
そう思ってしまうほどに、カイロプラクティック業界の動きが入ってこない。
活気がないとは自覚していたが、これほどともなるとなかなかどうして深刻である。

政治にも期待できない以上、まずは自らが動き出すしかない。
そう思った矢先、とある専門学校から書類が届いた。
封筒の表にはデカデカとこう書いてある。

「質の高いカイロプラクターを育成します!!」

必死である。
よもや私のバックグラウンドを知った上で送りつけたモノではなかろうが…。
いずれにしても、必死である。

必死なだけではなく、カイロプラクターとしての決断が求められる。
それがこの2012年なのだ。

拍手[5回]

1年くらい前だっただろうか、ある人がこのようなことを書き記していた。

「カイロ理論やテクニックは進化するとの前提に立ち、どの理論がよりその時代の国民に受け入れられやすく、筋道の通ったものかで判断したらどうだろう」

国民とは謳っているが、実のところは世界の流れに乗り遅れることを恐れている。
結果、それは国民を無視していることに繋がりかねない。
そのことについては問われれば、「国民が世界についてきていないだけ」として一蹴するのだろうか。

この文言が書かれた当時、“サブラクセーション”の存在が消し去られようとしている流れがあった。
事実、イギリスでは“サブラクセーション”の概念が裁判において否定された。
その判決を受けてのことなのか、WFCもそれに追随するかのような動きを見せていった。

そして、CCEもカイロプラクティックの定義の中から“サブラクセーション”の文字を削った。
また、投薬や手術に関しても仕様を容認するとも受け取れる記述に変更された。
こうしたガイドラインは今年から有効とされている。

これが現時点におけるカイロプラクティックを取り巻く世界の流れだと、個人的にはそう理解している。
そして、現時点における日本のカイロプラクティックの代表団体とされているのがJACである。

当然だとは思うが、JACとしては決断を迫られているはずだ。
世界の潮流に任せるとするならば、JACもそれに乗っかっていくのだろうか。
それとも“サブラクセーション”を頑なに主張していくのだろうか。

JACの目指す先に“カイロプラクティック法制化”があるのだとすれば、特に悩むことはないのかもしれない。
世界の動向に沿う形で法制化を推し進めていけばいいのだから。
何の問題もないとも言えるだろう。

しかしながら、『本当にそれでいいのか??』という疑問は残る。
カイロプラクティックにはフィロソフィーがあり、そこから切り離せないモノが“サブラクセーション“である。
その切っても切れないはずの“サブラクセーション”が、表現としては抹消されてしまった。

“サブラクセーション“無くして、それを本当に“カイロプラクティック”と言っていいモノなのか。
これがコーヒーだったら、クリープがなくてもコーヒーだと主張できるだろう。
少なくとも、私が年月をかけて学んできたカイロプラクティックは“サブラクセーション”ありきのモノだ。

それが「今年からはこれが“カイロプラクティック”ですよ~」とか言われて、『ハイ、そうですか』などとおいそれ言えるものか。
個人的には到底納得できる話ではない。

ならば、いっそ従来通りの形でカイロプラクティックを存続していけばいいのではないか。
日本の携帯電話同様、カイロプラクティックのガラパゴス化だ。

“ガラケー”ならぬ、“ガラカイロプラクティック”。
それでも、ガラパゴス化だけならまだ生態系として維持できているからいい。

私個人としては絶滅危惧種になりつつあることを最も恐れている。
ただでさえ名ばかりのカイロプラクティックが蔓延している現状である。
法律のない、文字通り“無法地帯”の日本で維持し続けるのは、各人の相当なる覚悟が求められよう。

となれば、1日も早い法制化が検討されるべきである。
が、法制化となれば、世界の動向に従わないわけにはいかない。
それはつまり、“サブラクセーション”抹消の容認を意味することになる。

堂々巡りだね。

先に紹介した文言には「時代の国民に受け入れられやすく、筋道の通ったもの」とあった。
哀しいかな、“サブラクセーション”の有無によって国民の受け入れ態勢が変化するとは考えにくい。
それはおそらく、施術する側のカイロプラクターにとっても同じことなのかもしれない。

たとえ“サブラクセーション”という言葉は消えても、それまで“サブラクセーション”と称されてきた状態は残る。
そして、カイロプラクターはその“状態”に対してアジャストを施すだけだ。
そう、施術としての制約が加えられるわけではないのである。

「だったら何も問題ないじゃないか」と言う人もいるとは思う。
まあ、そう思うのならそれでもいいが、その代わり黙っていてもらいたい。
考えのない者に何を言ったところで理解できようハズもなく、何より時間の無駄だ。

今、日本における“カイロプラクティック”の在り方が問われている。
果たして、“カイロプラクティック”が“カイロプラクティック”ではなくなるのか。
その上で、「何が“カイロプラクティック”なのか??」を改めて自らに問いかけ直す必要がある。

そうした経緯を経て、本来在るべき形での“カイロプラクティック”を主張し続けなくてはならない。
(ここでは「ストレートだ」「ミキサーだ」云々といった話は置いておく)
それがカイロプラクターとしての使命だからだ。
少なくとも、私はそう信じて疑わない。

さて、JACの決断は如何なものとなるのか。
会員の端くれとしては熱く見届けたいと思う。

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