facebookをやっていると、いろんな話が流れ込んでくる。
私が発信する場合、基本は“友達まで”の公開だが、内容によっては使い分けている。
具体的には“地元”“高校”といった感じだ。
“カイロプラクティック”に関しては“学校”“団体”“グループ”など更に分類してある。
関係のない処に関係のない話をばら撒いても意味がないと思うからだ。
もっとも、こうした分類も私と繋がっている人が少ないからできるわけで。
何百人と繋がっている人にそれを求めるのも無理があるかもしれない。
まして知らない人からのリクエスト承認ともなれば、もはや分類の仕様もない。
つーか、何で知らん人を承認できるんかな??
[5回]
何故かは分からないが、私の嫌いな人のブログが不定期ではあるがシェアされてくる。
見たくもない名前が、ご丁寧に顔写真付きときた。
明らかに心の中で舌打ちをしている自分がいる。
テンション下がりまくりだ。
以前、秋元康サンが以前テレビ番組の中で、「嫌いな人とは定期的に会うことにしている」旨の話をされていた。
秋元サン曰く「嫌いな人というのは自分にそっくりか、逆に正反対の考えを持っている人」らしい。
そんな人と会うことで、大抵は“嫌い”を再認識するのだが、そうでもないときもあるらしい。
そこまでの嫌悪感を持たなかった場合、何故そう感じたのかを考えることで新たな気づきがあるのだという。
まあ、言わんとすることはわからんでもない。
ただ食わず嫌いと違い、それなりの理由があっての“嫌い”である。
新たな気づきなどあるものだろうか。
気分は重い。
それでもせっかくの機会と思いこみ、クリックしてブログに目を通してみる。
読み終わって思うこと。
これも毎回変わらない。
『ああ、オレ、やっぱコイツのことキライだわ…』
年月の所為か立場の変化の所為かは定かではないが、同意できないでもない部分はある。
それでもやっぱりキライだと思った。
私の場合、そっくりな人ではなく正反対の考えの人を嫌っていることがほとんどのように思う。
そっくりの人であれば、自分の嫌な部分を見せつけられているという意味で反面教師になりうる。
正反対の考え、つまり個人的には『考えられん』話なわけだ。
その『考えられん』話に「いいね!」が付くのだから、ますますもって『考えられん』。
こう思う人は1人だけではなく、残念ながら数人いる。
この数人の記事が勝手に流れてくるのを見るのは正直面白くない。
ブロックすれば解決することは分かっている。
が、周囲との関係上、簡単にブロックできないケースもあったりする。
こうなったらスルーするしかない。
ところがである。
他で繋がっている人が「いいね!」とかしやがると、スルーしてもなお最上段にまで舞い戻ってきやがる。
正直、勘弁してほしい。
とはいうものの、こんな私を逆に疎ましく思っている人も少なくはないだろう。
このブログをきっかけに敵視し始めた人もいるはずだ。
現に荒れた過去があるわけだし。
加えて、カイロジャーナルでも連載を始めてしまった。
聞けば「誰だ、アイツは??」という問い合わせは数件あったと聞く。
失礼を承知で書けば、そのムダな行動力には恐れ入る思いだ。
人目につくこと、それがプラスに働くかマイナスに動くかはわからない。
個人的には、まずはマイナスへ動くものだと思っている。
そして、何の根拠もないが最終的にはプラス収支で終わると考えている。
根拠があるとしたら、『間違った発言はしていない』という自負に尽きる。
当然である。
そう、私が『キライ』だと思っている連中だって別に間違っているわけではないのだ。
個人の意見である以上、よっぽどのことがない限り「正しい」「間違い」などと言えようはずがない。
言えるとしたら「スキ」か「キライ」かである。
とは言え、いくら相手のことがキライであったとしても、それに対してアクションを起こそうとは思わない。
行為そのものが非生産的でムダなエネルギーの消費だと思うからだ。
あとは、“キライ”という固定観念に囚われないようにしている。
古ぼけたフィルターを通し続けることで今を正しく認識できないようでは意味がないではないか。
先に述べた“再認識”や“気づき”がこれにあたるのかもしれない。
実際、認識を改めたという人も1人や2人の話ではない。
プラスの変化だけならいいが、残念ながらマイナスな印象に変わる場合だってある。
たとえ事実であろうとも、知りたくない話に敢えて触れたいとは思わない。
できれば目の前に流れてくるのも避けたいというのが本心ではある。
それがこっちの気分お構いなしに、余裕のないタイミングで来られると性格上一気に沸点に達しかねない。
そうだ、そういうことなのだ。
いろいろ書いてはきたが、体調が良ければ平気で受け流し、ましてや楽しむことだってできるはず。
おそらく今はよっぽど調子が悪いのだろう。
前回のブログの件を引きづっているわけでは決してないものの、この不調は認めざるを得ない。
何かが足らんのだろう。
でも、それは昔からだけどな…。
取り敢えず、誰かオレに愛をくれよ。
あーあ。
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