以前、このブログに関して「予想に反して好意的」のようなことを書いた。
その後のアクセスを見ても割と固定されており、定期的に閲覧されているのが分かる。
先日の講演後はアクセス数が瞬間2.5倍くらい増えたが、今は1.5倍程度で安定している。
小まめにチェックしている場合もあれば、しばらく間を開けてから一気に読み倒しているような場合もある。
小まめな来訪者は、それなりの興味を持っていてくれているのだろう。
間を開ける人は、共感はしないまでも一応…程度のものなのかもしれない。
いずれにしても、読むのは結構大変なんじゃないか…と、他人事のように思う時がある。
私は稚拙な文章しか書けないので、内容をまとめる作業には異様に手間取る。
結果、1回の内容が妙に長くなってしまう。
それを一気に読むのは、なかなか…。
「タイトルに偽りなし」ということで、内容はカイロプラクティックの業界に対してが中心となっている。
その内容に関して、「コイツ、批判ばっかりだな…」と不愉快に思っている方もおられることだろう。
もっとも、本人にそういう意図はほとんどないのだが…。
やはり、全ては文章力の無さに尽きる。
[1回]
意見と批判の線引きは難しい。
「批判的な意見」というのもあるし…。
確かに、数々あった私の意見に対し、それを批判と捉える向きもあったとは思う。
「何なの、それ??」といった、私自身に対しての批判もまたあったかと思う。
ただ、私自身は何に対しても、決してネガティブな意見はしていないつもりだ。
私たちは知らず知らずのうちに見えないモノを見ようとするところがある。
例えば、その人の立ち振る舞いを通して、その親を見るようなことがあると思う。
同じように、その人からその人の出身校の姿まで勝手に思い浮かべてしまう。
勝手な想像や妄想は構わないと思う。
ただ、それがいつの間にか確定となり、それを基に判断を下すようになると問題が生じる。
勝手に山を駆け登り、先に頂点に達し、後から来た者を「遅い」と言う。
そこに同じ価値を見出している者同士なら話は解る。
しかし、達成感だけを求めている人からすればただの迷惑でしかない。
勝手に高いところに登っておいて、そこから勝手に人を見下されても困るのだ。
そんなのは遠足の登山で見かける小学生レベルの話だ。
このブログに関しては、自分の身の丈を超えることは書いていないつもりだ。
もちろん、中には表現上の脚色を加えた部分もあるとは思う。
また、そこに関わる人々に迷惑がかからないよう、できる限りの配慮は施している。
しかしながら、事実はありのままに、そして思ったことは率直に書くように心掛けている。
それでも、伝わらないことがある。
それどころか、誤解されてしまうことだってある。
残念ではあるが、そうなってしまってはもう如何ともし難い。
繰り返すようだが、やはり全ては私の文章力の無さによるものだ。
だからと言って、ブログをやめようとは思わない。
少なくとも、今はそんな気は更々ない。
書きたいコトがなくなれば、自然と終わる。
ブログなんて、そんなものだ。
見えないモノをわざわざ見ようとするのは、時間とエネルギーのムダである。
それがネガティブなモノであれば、尚のことだ。
それよりも、まずは確実に見えるモノをそのまま受け止めた方がいい。
想像と妄想はポジティブなモノに限り、それも暇つぶし程度に止めておくべきだろう。
その一方で、カイロプラクターは背骨という見えないモノを見る仕事である。
同じエネルギーなら、こちらに回した方が数倍良いし、そうするべきだ。
エネルギーのムダは、全く以ってエコじゃない。
このブログを目にした全ての人からの共感を得ようとは思わない。
共感半分、批判半分。
それくらいが丁度いい。
その中でも、できれば、半分チョットの共感が望ましい。
そういう意味では、今くらいの在り方がベストに近いのかもしれないな。
マイナー万歳!!
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