2020年夏季オリンピックの開催地が東京に決定した。
それまでは何だかんだ言っている人が多く見られたが、いざ決定してしまうと歓喜の勢いが大きく上回っているようだ。
実に56年ぶりとなる東京開催。
地元での開催なんて、私にとってもこれが人生最初で最後の大会となるのだろう。
そう考えると興奮しないでもない話ではある。
ところがである。
私のfacebookには、そうした歓喜事に関する記事がほとんど流れてこない。
むしろ、先の“何だかんだ”組のリンク記事ばかりが流れてきている。
「オリンピックなんかやってる場合か!!」
「もっとやるべきことがあるだろう??」
先の災害に関する内容や原発・放射能汚染に関する内容のモノが多いように思う。
それらの記事に“いいね!”とかシェアとかするから私のところまで流れてくるわけだ。
これが、いわゆる“拡散”というヤツだ。
多くにはコメントが寄せられており、それはそれで面白いと思う。
しかし、記事そのものは正直、ジャマくさいと感じる場合が多い。
申し訳ないが、むしろ不愉快に思うモノがほとんどだ。
[7回]
ネットでは“報道規制”について書かれている記事をよく見かける。
「テレビでは放送されない話」とかいう類のヤツだ。
確かに、ネット上とテレビ・ラジオといったメディアとの間で、ニュースの温度差を感じることはある。
同じニュースの場合、ネット上のそれの方が往々にして過激だ。
時に過激すぎて、ニュースソースの信憑性を疑ってしまう。
何事においてもそうだと思うが、物事の真実は1つしかない。
ただ、その事実に対する視線・視点は少なくとも2つ以上ある。
よって、一方の観点だけを鵜呑みにしていると、必ずと言っていい程に問題が生じる。
根拠の有無を問わずして、自らの信じた観念を押し付けようとすれば、そこにまた根拠のない反発が生まれるのだ。
こうなると冷静さを欠いている分、埒が明かなくなる。
facebookに流れてくる“シェア”記事も、私にとっては同じような印象を受ける。
それが「被災地の現状」であったり、それに対して「国が何もしてくれない」のかもしれない。
冷たいようだが、それもまた物事の側面の1つにすぎない。
それでも「知ってほしい」と切実な思いと共にアップされた記事。
シェアされ拡散されていった先に、本人の思いはどれくらい届くのだろう…。
シェアしました。
拡散しました。
じゃあ、その先は??
1つの記事につき、“いいね!”と“シェア”だけで完結してはいないだろうか。
シェアをし拡散させただけで満足している人が多いように思えてならない。
それでいいのか??
今回、東京オリンピック開催決定を受けて、JACはfacebook上に関連記事をいち早くアップした。
まあ、当然と言えば当然だ。
それ以外、私と繋がりのあるカイロプラクターからは何も流れてこなかった。
あ、来てたか…。
「東京オリンピックによって、せっかく戻りつつあった自然が破壊される」
「何のための開催なんだ??」
こんな感じのヤツばっかりね。
いわゆる“何だかんだ”組のヤツだ。
まあ、賛否両論はあって然るべきなので、それもまた当然であろう。
ただ、カイロプラクターからのリアクションの無さは問題視したい。
日本で開催されるアスリートの祭典、オリンピックである。
何故、カイロプラクターとして選手をサポートしたい!!という発想が生まれないのか??
一時期、陸上のウサイン・ボルト選手がカイロプラクティックを受けている写真がfacebook上を賑わしていた。
他にも多くのカイロプラクターがオリンピック等で活躍している写真があった。
それらに対して“いいね!”が押され、シェアされていた。
そうだよ、“いいね!”だよ。
その“いいね!”と言われる側になるチャンスが7年後に来るんだぜ??
先にも書いた通り、これは一生に一度のチャンスなんだぜ??
もちろん、カイロプラクター全員がスポーツ・カイロプラクティックを専攻しているわけではない。
それでも、スポーツに興味を示さないカイロプラクターはいないだろう??
仲間である日本人カイロプラクターが東京オリンピックで活躍する。
7年先とはいえ、想像しただけでもワクワクしてこないかね??
それこそ“いいね!”だろう??
ナショナル・チームのサポートに際し、法制化は不可欠となる。
事実、サポートを申し出たものの法制化されていないがために断られた先生を知っている。
アスリートとの個人契約でもしない限り、現状では不可能であろう。
別に自分が参加するしないは関係ない。
日本でもカイロプラクターが国際的舞台で活躍できるという、その礎が必要なのだ。
結果を出せなければカイロプラクティックじゃない。
その“結果”を、日本のみならず世界に発信できるチャンスがやってくる。
そのために、我々日本人カイロプラクターがすべきことは何なのか。
目標が定まれば、そのために成すべきことは自ずと決まってくるはずである。
それでもなお、「国際基準じゃダメだ!!」とか「国際基準なんて無意味」とか言い続けるつもりなのだろうか??
そうまでして守りたい何かでもあるのかね??
日本におけるカイロプラクティックの存在意義をカイロプラクター自らの手で訴えかけなければならない。
その際、国際基準であるとかないとかは関係ない。
重要視されるべきは、カイロプラクターとしての意識の高さだ。
その名前だけが先走りし、日本では今1つ実態が定着しないカイロプラクティック。
その存在をこれ以上ない形でアピールできる、またとないチャンスなのである。
こんな機会をどうして見す見す逃せるものなのか??
と、いろいろ書いてきたものの、相変わらず何の気配も感じられずにいる。
当人たちにやる気がなく、というか諦めているのであれば、実現しようはずもない。
何で盛り上がれないのかな??
個人的には全く以て理解できない。
東京オリンピックまであと7年。
諸々考えて、この3年が勝負となるだろう。
この機を逃したら…なんて考えたくもないね。
奇しくも、お題をアップするこの日はカイロプラクティックの記念日でもある。
ある意味、命懸けでカイロプラクティックと向き合っていこうではないか。
ちゃんとカイロプラクティックしなさい。
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