9月18日。
世界中のカイロプラクターがブログをアップするであろう日。
知らんけど。
きっとカイロジャーナルのリンクページ更新も慌ただしくなることだろう。
知らんけど。
今日はカイロプラクティックの誕生日である。
発祥の地であるダベンポートは今年も生誕祭で盛り上がっているのだろう。
知らんけど、これは間違いない。
私も一度くらい顔出してみるべきだったな…。
何せ隣村に生息していたんだし…。
懐かしいな…。
ダッククリークにあった、韓国人が作るチャーハンが大好きだった。
KFCはAll You Can Eat、つまり食べ放題でテンションが上がり、100%確実に胸やけしてた。
チキンと言えばハーディーズだったけど、あそこではマッシュルームバーガーしか食べなかった…。
たぶんダベンポートを知る人でも全部は理解できないだろうな…。
15年以上も昔の話だ。
そのうちこのテの話も書いてみようか。
いずれネタも尽きてくるだろうし…。
でも、今回は別の話。
[0回]
カイロプラクティックが発祥された時、創始者D.D.パーマーは50歳だった。
教育システムの確立、収監、親子間の確執、全国行脚による啓蒙…。
20年にも満たなかった残りの人生で、多くのことを成し遂げてきた。
志は半ばだったかもしれないが、ある程度の達成感はあったのではないだろうか。
晩年には息子B.J.との確執が解けたことから、安堵感も得られたことだろう。
後世にその名とカイロプラクティックを残した、素晴らしい人生だったと思う。
私がカイロプラクティックの道へ進もうと決意したのが、26歳の時。
いくつかの国の教育システムに触れ、全国行脚と言うほどではないが啓蒙活動は行っている。
親子間の確執は特にないが、彼女を殴って収監されたという男は知っている。
そして、まだ何も成し遂げてはいない…。
カイロプラクターを志した年齢でいえば、決して早い方とは言えない。
むしろ遅い方だと思う。
加えて、そこからの歩みもまた人並み外れて遅かった。
そんな中でも、人との出会いがあった。
のそのそしていたおかげで、本来出会いはずの無かった人たちともたくさん出会えた。
出会いを介して、更なる新しい出会いもあった。
出会いはあれど、出逢いはない…。
出会いの中心には、常にカイロプラクティックがあった。
だから、カイロプラクティックをもっと知ってもらいたい。
名前だけでなく、正確に知ってもらいたい。
心からそう願っている。
という訳で、まずは誕生日を知ってもらおうではないか。
自分のオフィスを訪れた1人1人に伝えてみよう。
"Happy Birthday!!"と書かれたステッカーを白衣に貼ってみるのもいいかもしれない。
バースディカードはもらえるはずもないから、こちらからあげてしまおう。
プレゼントは「健康」だ。
過去があるから今がある。
現在は過去から与えられたプレゼントである。
だから、英語で「現在」を"present"という。
知らんけど、そうらしい。
ま、キレイだわな。
「カードなんてもう間に合わない」とか思ってはいけない。
既存のテンプレートに手を加えてプリントアウトすれば、すぐできる。
カードなどなくても、口で伝えるだけでも十分。
あとは誕生日らしくハッピーな話をすればいい。
決して「来年やればいいや」などと思わないように。
このブログを読んで共感される方は、是非実行に移して頂きたい。
そして、原点に返る思いでカイロプラクティック治療にあたって頂きたい。
Happy birthday sweet & bitter 114!!
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