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カイロプラクター
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今年の初めにPCがクラッシュして以降、お気に入り登録してあったブログの閲覧ができずにいる。
それなりの情報源ではあったのだが、所詮それなりなので問題はないだろう。

ということで、最近の情報源はfacebookから拾うケースが多い。
一応、仕事関係とも繋がっているので、何かアップされればお知らせとして流れてくるわけだ。

ほとんどは無表情のままスルーできるが、中には動きを止めてしまうモノもある。
個人的に気になるのは、所構わずアジャストメント行為をやってしまう旨のヤツだ。

ホテルや空港ロビーの一角であったり、ショッピングセンターや屋外だったりする。
そして、それらのほぼ全てが微笑ましいエピソードの体で紹介されている。
そこに残されたコメントもまた肯定的な文言が並ぶ。

いやいやいや、笑えねーよ、全然。

「今が良ければ全て良し」ってことかもしれないけどね。
ただ、カイロプラクティックの“今”は笑っていられる状況ではないのだよ。

拍手[7回]


これまで何度となく書いてきた通り、カイロプラクティックは日本において職業として認識されていない。
カイロプラクティックに関する法律がないからだ。
何にもないので、何となーく存在し続けているに過ぎない。

そんな中でカイロプラクターとして生きていく以上、それ相当もしくはそれ以上の覚悟が求められるだろう。
それらの多くは教育の中で培われていくモノである。
4年制はともかく、2年制においてそこまで時間を費やせるものか、甚だ疑問ではある。

それ故、何の覚悟もないままにカイロプラクターとなってしまった人も少なくはないだろう。
それでも、実際に現場で揉まれていくことで、徐々にその意識が芽生えていく。
そんなモノであるし、よくある話でもあり、ドラマでもよく見かける。

ところが、この期に至っても何の芽生えも生じないケースもまた少なくない。
本人の意識もあるが、それ以上に周りの環境に左右される部分が大きい。
要は、尊敬できる“師”があまりにも少ないということだ。

一方で“師”になりたがる人も、これもまた少なくない。
その実は、”上に立ちたがり”で“尊敬されたがり”なだけで、“師”とは遠くかけ離れている。
それが証拠に、そうした連中は後進の育成には全くと言っていいほどに興味を示さない。

尊敬に値する先輩を“師”と仰ぎたいものの、肝心の“師”と巡り合うことができない。
近づいてくるのは、使えない“たがり”な先輩ばかり。
後進の苦労も絶えることはない。
 
どの社会においても、教育には多大なる労力を要する。
そこに時間がかかり、またお金がかかるのも当然のことである。
教育機関で黒字の計上というのは生半可なことではない。

教育機関を設立するまでには至らず、セミナー開催にてお茶を濁す。
主催者側の動機は純粋そのものであることが多いのだが、参加する側のそれはそれ程でもない。
侘び寂びもなく、本気でお茶を濁してくれる。

本来、セミナーはある程度の基礎が備わっていることを前提にプログラムが組まれている。
よって、基礎がなければ何の話かチンプンカンプンとなって然るべきといえよう。
カイロプラクティックのセミナーでは、このチンプンカンプン状態に陥っている人をよく見かける。

中には、セミナーに参加して初めて、自分の基礎学力の無さに気付かされたような人がいるから恐れ入る。
本人からすれば、自分の基礎の脆さを補うつもりで参加を決めたのだろう。
というより、セミナー講師に補ってもらおうという甘い考えがあったに違いない。

ところが、逆に自分のレベルがそれどころではないという現実を目の当たりにされてしまうのである。
一般的に、セミナー講師が参加者に注文を付けることはほとんどない。
にもかかわらず、「解剖学から勉強しなおした方が良い」などと言われてしまうのは相当のレベルだということだろう。
 
それでもなお、基本からやり直そうという発想は起こらないらしい。
元々教育が十分でないから、カイロプラクティックに対するこだわりも薄い。
その割に、“カイロプラクティック”の名称は掲げたままだ。

要は、“カイロプラクティック”そのものがナメられている。
それが日本の現状だ。

先に“師”に関することを書いた。
幸運にも“師”と出会っておきながら、偉大なる“師”に追いつけ追い越せという信念はないようだ。
それよりも、我が道を邁進する方が重要らしい。

個人の見解であるが、師弟間に学歴の差が生じている場合ほど、我が道を行くケースが多いように思う。
これが共に2年制卒の師弟同士の場合、“師”の教えを守り継承し、その上で発展させていく人が多いような気がする。
 
そもそも、D.C.や学位持ちに師事する人は、テクニックなどの実用面にしか興味を示さない。
本来、最も重要とされる解剖学や生理学などは、足りないことを前提として二の次とされている。
その前提があるからか、「“師”に追いつこう」という考えには至らないのかもしれない。

あくまでも私個人の仮説である。
が、そんなに的外れでもないのでは…??

基礎のない土台の上に、マトモな家が建つと思うのか??
何をするにしても、基礎は必要に決まっている。

学位云々に絡めて「日本では無意味だ」などと繰り返す人は、事の本質を理解していない。
そうでなければ、ワザとやっているとしか思えない。

もちろん、「無意味」だと思うのは自由だし、勝手だ。
が、それをわざわざ、しかも何度となく発信し続けるところに、自らの正当化に躍起になっているように思えてならない。
要は、器が小さいってことよ。

“類は友を呼ぶ”という言葉がある。
当人が高みを目指せば、それに見合った出会いがあるし、“師”と出会う可能性も当然高くなる。
全ては本人の志次第なのである。
 
JACによる安全教育プログラムがスタートした。
私の想像を超える人数が参加しているとのことで、裏切られてホッとしている。

その一方で、私の知る人たちは誰一人として参加していないようだ。
個人的には、むしろこちらの面で裏切られたかった。

それでも軌道に乗っているのならまだしも、上手くいかないと悩んだりする。
求められたのでアドバイスすると、「うーん、まぁそうなんですけどね…」と歯切れが悪い。

成功したい。
でも、今更基礎なんかやりたくない。
ああ、どうしよう…。

“悩む”のと“考える”のとは違う。
 
都合よく悩むな。
悩むヒマがあったら、考えろ!!

その上で、ちゃんとカイロプラクティックしなさい。
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はじめまして
ひょんなことからこちらのブログにたどり着き、アーカイブ拝見させていただいております。一時期はあきらめていたのですが、東京オリンピックをきっかけにこの業界がまとまり、個々のレベルも向上し、盛業しててもしていなくてもカイロプラクターであることに胸をはれる当たり前の状態をもう一度目指すべきだと思いなおしています。岡井先生や山本先生のようにもう一度あきらめずに自分にできることを見つけて、頑張ってみたいと思っています。これからもどうかよろしくお願いします。
みずいろボーイさん / 2014/05/13(Tue) /
Re:はじめまして
カイロプラクティックを取り巻く環境はお世辞にも良いとは言えません。そんな中で高い志を持ち続けるというのは簡単なことではありません。

ただ、見方を変えれば、自分たちで切り開いていける業界でもあります。「カイロプラクターになりたい」と、当たり前のように言える社会にしていきたいですね。全ては私たち次第だと思います。

コメントありがとうございました。
 (2014/05/14)
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