未曾有の大震災から約1ヶ月が経とうとしている。
東京での有感地震はかなり減ったものの、被災地では今も頻繁に揺れ続けているようだ。
地震酔いなのか、常に揺れを感じているような錯覚に陥っている人もおられるらしい。
日々報道され続けている原発問題に不安を覚えながらも、少しずつ日常を取り戻しつつあるように見受けられる。
とはいえ、計画停電などもあり、これまでの生活を完全に取り戻すまでには程遠い。
最悪、二度と取り戻せない可能性だってある。
原発の報道を受けて、人々の反応も様々だろう。
正直、ニュースを見ても話が難解すぎてついていけず、ただただ不安感だけが増幅されている人も多いのではないか。
勉強についていけず学校を退学はできても、この“学校”はなかなか退学できない。
できるとしたら、せいぜい転校くらいのモノだ。
そんな中、14歳の中学生アイドルのブログがちょっとした物議をかもしていると聞いた。
内容は原発に関してのモノ。
原発反対の立場からの率直な物言いに賛否両論が挙がっているらしい。
原発の話というのは、その必要性の有無を簡単に決められない、ヒジョーにデリケートな問題である。
そんな中での一個人の意見であるから、よっぽどの内容でない限りその良し悪しは付けられない。
同意ならともかく、頭ごなしの反論や非難はやめて頂きたいものだ。
ただ、意見を発するタイミングに関してだけは、もう少し考えて欲しかったかなーとは思う。
たとえ反対であろうとも、今もその現場で命懸けで仕事をされている人達がたくさんいるのだから。
日本におけるエネルギー開発の議論は必要だが、今はまだその時ではないだろう。
まあ、アイドルでありながらも批判を覚悟で自らの意見を綴ったことは称賛に値する。
興味ある方はテキトーに検索をかけてチェックして頂きたい。
[6回]
ところで、今更ながらではあるが、このブログのタイトルは「ちゃんとカイロプラクティックしなさい」である。
このタイトルそしてフレーズが全てであり、お題の〆の言葉として用いることも少なくない。
しかしながら、このカイロプラクティックができない状態になってきている。
もちろん、これも今回の震災の影響である。
まずは交通上の問題がある。
鉄道が動かなければ足を運ぶこともできない。
ダイヤも乱れている上に、混雑も予想される。
お年を召された方ともなれば、来るだけでも一苦労だ。
次に余震。
被災地ならまだしも、ああも頻繁に揺れてしまっては安心できない。
中には、本震のショックから動けずにいる人も少なくなかった。
加えて、最も大きい要因と言えるのが、やはり計画停電だろうか。
この、ぢつに無計画な計画停電が各方面に大きな影響を与えている。
何せ、当初は当日の朝にならなければ停電の有無が分からなかったのだ。
しかも、肝心の東京電力ホームページはアクセス過多で繋がらないときた。
人によっては既に通勤されていた人もおり、さぞや大変だったことだろう。
こんな状況では各人の予定がたてられない。
予定がたたない以上、カイロプラクティックの予約も入れようがない。
地震直後の数日間の予約キャンセルから、未だ流れを取り戻せていないオフィスも多いようだ。
3月期の決算はどこもサイテーだったのではないか。
従業員の給料を出すため、相当の苦労を強いられたことは想像するに容易い。
折しも、卒業・入学シーズンである。
漂う沈滞ムードの中での卒業式は如何ほどのモノだったのだろうか。
就職できたとしても、その先の明るい展望は少々見えにくい。
それでも「被災された人達に比べれば…」と皆が口々に言う。
それは確かにその通りだ。
しかしながら、いつまでもそうは言ってはいられない。
そもそも被災された方々とと比べる時点で、どこか被災者を上から見下しているとも受け取れる。
自分より境遇の悪い人を引き合いに出して安心しようとするのは、日常の中でも多々あるコト。
ただ、それでは何の解決にはならない。
ならば、いっそ全てをリセットして考え直した方がいいかもしれない。
「今がドン底だ」と、自らゼロに戻ってやり直すのだ。
こうすれば、それ以上下を向くこともなく、常に前向きでいられる。
前向きなネガティブは決して悪いことではない。
事実、月が変わって年度が変わり、災害以前の状態に回復できる保証はどこにもないのである。
生活が落ち着いてくれば、それまでの利用者が自然と戻ってくると思ったら大間違いだ。
別にカイロプラクティックの信用が失われた訳ではない。
ただ、日常生活の中でカイロプラクティックの居場所が失われただけだ。
それでも、一度失ったモノを取り戻すのは簡単なことではない。
俗に、経済面における国民性で、アメリカ人が浪費型なのに対し、日本人は貯蓄型だと言われている。
その貯蓄の度合いは、今回の災害に対して集まった義援金の多さで計らずも裏付けられる結果となった。
何せ、メガバンクのシステムを故障させる程の義援金である。
裏を返せば、それだけのお金の蓄えがあったことを意味している。
これだけのお金があるにもかかわらず、戦後災害の不景気というのもオカシな話だ。
というより、これだけ貯め込んでしまえば、そりゃあ不景気にもなるだろうよ。
「カイロプラクティックに回す余裕がない」
確かに、先月だけを見れば、それだけの余裕は…と言うのも分からないではない。
事実かもしれないが、それでも大抵の場合は体のいい言い訳である。
要は、カイロプラクティックの優先順位が限りなく低いということだ。
余裕の有り無しは関係なく、常に私達の生活の中にあるモノ。
カイロプラクティックはそうした存在にならなければならない。
プライマリー・ケア(Primary Care)とはそういうことだと思う。
そう、実際は被災をしていない私たちの方が、被災された方々以上に頑張らなければいけないのだ。
それがカイロプラクターであれば、尚更だ。
“頑張る”とは、「どこまでも忍耐して努力する」ことを意味している。
軽々しく使ってはいるが、本来は重みのある言葉である。
一方で、“頑張る”の語源として「我に張る」というのがある。
カイロプラクターには、こっちの“我ん張り”を見せる人が多いように思えるのは気のせいか…??
これを期に、カイロプラクティックをより一層普及させる活動に出るのもいいと思う。
カイロプラクターとしてできるコトや、すべきコトはまだまだ山ほどあるはずだ。
“自粛”という名の“他粛”に委縮している場合ではないのである。
さあ、ちゃんとカイロプラクティックをしよう。
ちゃんとちゃんと、頑張っていこう。
PR