1995年、ロイヤルメルボルン工科大学(RMIT)カイロプラクティック学科の日本校が開校した。
日本初の5年制カリキュラム(当初は3年+2年、現在は4年制)、そして学位が発行されるようになった。
また、それ以前から開業していたカイロプラクターに対しては、カイロプラクティック標準化コース(Chiropractic Standarization Course, CSC)プログラムが用意された。
このプログラムを修了することで、同等の学位が得られるという救済措置的な意味合いがあった。
これにより多くの専門学校もまた独自のCSCプラグラムを設置するに至った。
同じCSCでも独自レベルに大きな差があるとのことで、学位の価値を疑問視する向きもあったと聞いている。
一定のレベル維持の有無を推し量る術がないので、致し方ないところではある。
現在、日本でよく見かける学位としては、以下のようなものがある。
D.C.(Doctor of Chiropractic) - 主にアメリカ、カナダ
B.App.Sc.(Bachelor of Applied Science) - オーストラリア
B.C.Sc.(Bachelor of Chiropractic Science) - オーストラリア
その他、BSC(Bachelor of Science in Chiropractic)を初めとした独自の学位がいくつかある。
これらの学位をどう解釈していいのか、正直分からないと思う。
一般の人はどう判断したらいいのだろう??
そのような質問を受けた場合、カイロプラクターの皆さんはどう答えるのだろうか??
[3回]
ちなみに、私の答えは以下のようになる。
『カイロプラクティックを多めに勉強した人。それが「学位持ち」である』
4年制はもちろん、専門学校卒でも、その後勉強したからこそ学位がある。
時間と量に違いはあれど、勉強したという事実に変わりはない。
「国際基準」を唱っているところも、「勉強したんだなー」程度に考えておけばいい。
ちょっと前までは、専門学校を出ただけなのにD.C.を名乗ったり、勝手に国際基準を前面に押し出している人たちがいたが、今ではかなり少数派だろう。
もし気になるようだったら、本人に直接聞いてみるといい。
「どちらで勉強されたんですか??」
そこで言葉を濁すようなら、学位そのものが怪しいかもしれない。
もっとも、「学位持ち」なら、何処かしらに証書が飾られてあるだろうから、聞くまでもないか。
ただ、証書も単なる解剖実習修了証だったりすることがあるので、注意が必要である。
海外で2週間~1ヶ月くらいかけて解剖学をやや多めに勉強したという証明に過ぎず、学位ではない。
2年くらい前、RMIT大学日本校が東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(TCC)に改称し、それを機にD.C.号を発行する旨を発表した。
日本におけるD.C.号の発行は業界内ではちょっとした物議をかもしたらしい。
「らしい」というのは、私自身は何をギャーギャー騒いでいるのかが理解できなかったからだ。
例えば、MBA(経営学修士)という学位がある。
弁護士や公認会計士と並び、ビジネスの世界で非常に力を発揮する学位となる。
一般的に難関とされているが、クラスさえあれば、どこの学校でも修得は可能である。
つまり、学位をどこで修めたのか、まずはそれが最重要視されるのだ。
考えてみれば、医師(Medical Doctor、M.D.)も同じである。
「あの先生、○○大学出てるのよ」
腕が良ければ、「さすがよね」
悪ければ、「頭がイイだけじゃぁねえ…」
「D.C.です」「どちらで勉強を??」「日本のTCCです」
「D.C.です」「どちらで勉強を??」「アメリカのパーマーです」
どう解釈するかは相手次第である。
それを何だかんだと騒ぎ立てるD.C.の先生方には、ケツの穴の小ささを感じずにはいられない。
いずれにしても、最終的に求められるのはその実力であって、学校名というブランドではないのだから。
もちろん、そうした学位の有無に関係なく、素晴らしい先生方はたくさんいる。
学位は無くとも、非常に勉強をされている先生もたくさんいる。
ただ、その素晴らしさや努力を判別する術は無い。
それが、哀しいかな日本の現状である。
とにかく、「学位持ち」は勉強をしてきた人だということ。
それだけは間違いない。
そして、それ以上の何物を示す指標にはなり得ない。
こういうことを書くと、何かしら批判されるかもしれない。
一方で、賛同があるかどうかはわからない。
しかしながら、少なくとも、「学位持ち」の私はそう考えている。
PR