「整体」にはどうやら明確な定義がないらしい、ということを前回書いた。
そこで浮上してくる新たな問題がある。
『それならば、何故「カイロプラクティック」と「整体」は混同されるのか??』ということである。
定義のあるモノと曖昧なモノとの混同。
これはすなわち、定義あるモノの説明不足による浸透の不徹底によるもの。
つまりは、正確に伝導すべきカイロプラクター側の怠慢と言わざるを得ない。
HPの最上部にあるタイトルバーを見ると、大抵は「○○カイロプラクティック」のような名称が書かれている。
続いて「○○町のカイロプラクティック」と、地元をアピールしているところも少なくない。
ただ、その中に「カイロプラクティック 整体 マッサージ」などと平気で書いてあったりする。
「カイロプラクティック」の教育をしっかりと受けていれば、このような表記は通常あり得ない。
それが証拠に、「整体とは違う」と明記しているサイトさえある。
その一方で、カイロプラクターを名乗りながら「整体」をデカデカとアピールしているサイトもある。
それが、「学位持ち」であったりするから、恐れ入る。
要は、カイロプラクターがカイロプラクティックをやっているのかどうか。
これに尽きる。
[0回]
日本カイロプラクターズ協会(JAC)によると、「カイロプラクター」を名乗る者を限定する基準があるという。
しかし、正直、そんなものはどうでもいい。
基準を満たしていても、「整体」と書いている時点で「カイロプラクター」ではない。
少なくとも、私はそう思ってしまう。
私はカイロプラクターである。
カイロプラクターであるから、カイロプラクティック治療を行う。
パルペーション等で「サブラクセーション」を見つけ、「スラスト」による「アジャストメント」を施す。
「サブラクセーション」、「スラスト」、そして「アジャストメント」。
この3つに対峙できるのはカイロプラクターだけである。
故に、この3つにはこだわっていきたい。
(『「スラスト」が全てではない』類の話は、ここでは取り敢えず割愛)
「整体・カイロプラクティックなどを用いて容態に合わせた治療を行います」といった記述をちょくちょく見かける。
この時の「カイロプラクティック」は単なるツール(Tool)に過ぎない。
ツールには、フィロソフィー(Philosophy)もなければアート(Art)も存在しない。
よって、「カイロプラクティック」とは認められない。
前回の冒頭で述べた「ベースボール」と「野球」との相違点でなぞれば、「カイロプラクティック」と「整体」とでは、戦略はもちろん、根本であるルールが違う。
だから、本来なら試合として成立しないはずである。
無理に異種格闘技戦のようなマネをする必要性も感じない。
タウンページでさえ、これまでの「カイロプラクティック・整体」のカテゴリーを「カイロプラクティック」と「整体」とに分割するに至った。
「整体」側に立つ人が「カイロプラクティック」を都合良く登録してしまうことを止める術はない。
しかし、カイロプラクターが「整体」のカテゴリーを除外することはできるはずだ。
私は「整体」を見下してもいないし、「カイロプラクティック」より劣っているとも思わない。
先にも書いたように、知らないモノに対しての批判ができようはずもない。
ただカイロプラクティック側からの紛らわしい行為・言動はすべきではない、と言っているに過ぎない。
もしあなた自身に『自分は「カイロプラクター」だ』という自負があるならば、「整体」の文字は撤廃してほしい。
全ては、カイロプラクティック治療を必要としている人々の混乱を避けるためである。
ちゃんとカイロプラクティックしなさい。
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