結構前になってしまったが、プロ野球ドラフト会議が行われた。
高校生と大学・社会人の候補選手が同時に選択されるのは数年ぶりのこと。
よって逆指名制度もなくなった。
…って、どれだけの人が興味をもっていることか。
それ以降、スポーツ紙の一面は花巻東高校の菊池雄星投手の行末に注目が集まっていた。
それ以外では、スポーツ選手と女子アナウンサーもしくはモデルとの交際が報道されていた。
最近では女性キャスター、歌舞伎役者、女優、プロゴルファーと、いろんな意味で羨ましい話である。
いやあ、めでたいめでたい。
少しは、このしがないカイロプラクターの将来も心配してくれんかな…。
東京スポーツのそれは別として、スポーツ紙の見出しは私たちの想像力を掻き立てる。
その想像力は、大抵の場合、邪(よこしま)なものだ。
見出しから純粋な想いがこみ上げてきて、スポーツ紙を購入することはあまり考えられない。
想像力は大切である。
想像力がないと、修学旅行の消灯後が盛り上がらない。
あの頃が純粋さと邪さとのボーダーラインだったのだろうか…。
『テレビっ子』と言われた私ではあるが、実は『ラジオっ子』としての側面の方が強い。
ラジオ・パーソナリティーの紡ぎだす言葉から想像力を掻き立てられる、そんな毎日を過ごしていた。
ところが、今やテレビどころではない、インターネット世代である。
考えるよりも先に形が写真となって表れており、考える間さえ与えてくれない。
考えることを面倒に思うフシさえ感じられる。
最近、想像力に欠けると思しき人が多くなったように思うのは、決して気のせいではないだろう。
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