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facebookをやっていると、いろんな話が流れ込んでくる。
私が発信する場合、基本は“友達まで”の公開だが、内容によっては使い分けている。
具体的には“地元”“高校”といった感じだ。

“カイロプラクティック”に関しては“学校”“団体”“グループ”など更に分類してある。
関係のない処に関係のない話をばら撒いても意味がないと思うからだ。

もっとも、こうした分類も私と繋がっている人が少ないからできるわけで。
何百人と繋がっている人にそれを求めるのも無理があるかもしれない。
まして知らない人からのリクエスト承認ともなれば、もはや分類の仕様もない。

つーか、何で知らん人を承認できるんかな??

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前回、ネットでの発信リスクに少し触れたので、もう少し掘り下げてみる。

2~3ヶ月くらい前だったろうか、facebookにある記事が流れてきた。
私と繋がりのある人が“いいね!”をしたネット記事が紹介されてきたわけである。

内容としては、とある巨大企業が下請けを追い込んだ挙句に切り捨てている、というモノ。
それに対して、「もうこの企業の製品は買わない!!」と強く憤っている意見が添えられていた。
それに同意したからこその“いいね!”だったのだろう。

まあ、たまたま私のところに流れてきたモノであるし、それ自体はどうでもよかった。
むしろ、その人の意見に対して残されたコメントの方が気になった。

コメントの多くは“いいね!”側だったのだが、その中に1つだけ反論のようなモノがあったのだ。

「(買わない!!などと)わざわざ言わないで勝手にすればいい。
 製品のファンもいるんだから、不愉快にさせることはない」

それに対して、以下のような返信があった。

「不愉快も何も、私のSNSで自分の意見を言っているだけです」

これらのコメントに対しての“いいね!”であるが、前者が40前後だったのに対し、後者は優に100を超えていた。
フォローしていたわけではないのでわからないが、狭い世論は後者を支持したようである。

結構ムズカシイ問題ではないかと、個人的には思っている。

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以前書いたとは思うが、facebookに登録してみた。
相変わらずのシャイ君なので、こちらからリクエストを出すことはほとんどない。
にもかかわらず、多くの方々が私如きにリクエストを出してくださるのは嬉しい限りだ。

“友達”となったことで、多くの人と繋がり、その動向さえもが1つの情報として入ってくるようになった。
何に共感し、何に“いいね!”と思ったのか、時にコメントと共にスクロールされてくる。
他所様の共感が雪崩式に表示されてくるわけで、正直ウザく思ってしまうことも…。

もちろん、それなりの設定もできるのだが、たま~~~~~~~~~~に使える情報があったりするので、なかなか思い切れない。
“友達”の多い人はこの辺り、どう処理しているのだろうか…。

そんな訳で、いろんな情報が勝手に入ってくる。
例えば、ちょっと前では北海道沿岸部での漁業被害なんてのがあった。
“犯人”が絶滅危惧種であるアザラシだということで手をこまねいていたという。
そこで、試験的に捕獲することになったらしい。

それに対する批判がある。
「人間の勝手なエゴだ」と。

確かに、この側面だけを切り取ってみればその言い分も解らないではない。
ただ、物事には大抵、もう一方ないしそれ以上の別の側面が存在する。
そして、その側面から見ると全く違う見解があるものだ。

正直、この点に関しては正解がないのかもしれない。
少なくとも、私は未だ答えにまで到達していない。
“ウルトラセブン”第42話を初めて観た、あの日からずっと考えているのに…。

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何かの対談番組だっただろうか、ある言葉が紹介されていた。

「あ・い・う・え・お を大切に生きる」

この「あ・い・う・え・お」とはそれぞれ“愛”“命”“運”“縁”“恩”を意味している。
そして、“愛”と“命”はもちろん、“縁”と“恩”を大切にして初めて、“運”がついてくるのだという。

なるほどなーと思った。
その上で、自分自身についても考えさせられた。

まず、“愛”は圧倒的に、そして絶対的に足りない。
また、“命”を大切にしているのなら、もう少し運動するような…。

“縁”は自分なりには大切にしているつもり。
ただ、“恩”はそれに比べて不十分だろうか。

その割に、“運”は割とついている方だと思う。
これまでの人生でもそれなりの窮地に見舞われてきたものの、どん底までには落ちないと信じていた。
全く以って根拠のない自信ではあるが、これはホントにそう思っている。

結果、今の自分がある。
あらゆる方面で信じられない程の“縁”に恵まれ、それに対する“恩”は既に計り知れない。
それらを総じて“運”だと称してきた。

ある人は言う。
その“運”をモノにできるのが“実力”なのだという。

実力のない者は運だけで終わる。
つまり、運が尽きればそれまで、ということだ。

ここはひとつ、運に見放されないよう実力をつけていかなくては…。
何せ、“愛”には期待できんからの…。

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最近は何故か同窓会づいている。
それも小学校のクラス会だ。
人によっては30数年ぶりの再会となった。

忙しい中、担任の先生を含め10人が顔を揃えた。
男性陣は年相応に横幅の成長を見せながらも、頭部の干ばつを訴える者はいなかった。
女性陣も子育てに奮闘しながらにしては、ヒジョーにいい保存状態であった。
きっと環境がいいのだろう。

身なりは十二分に立派な大人であるが、この空間だけは小学生時代にタイムスリップしている。
皆が皆、当時の愛称で呼び合う。
穿った見方をすれば、インターネットのオフ会に見えない事もない。
いずれにしても、傍から見れば怪しい集団だったことだろう。

各人独特の口調も懐かしい。
恥も外聞もなかった子供時代を共有しているだけに、気取ること自体が逆に小っ恥ずかしい。

そして、そこには当然、遠慮もない。

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