この時期になると、必ず思い出すボキャブラがある。
♪~兄は夜更け過ぎに~ユキエと変わるだろう~~♫
哀しいかな、クリスマスにまつわる思い出はこの程度しか持ち合わせていない。
そして今年もこれを超えるイベントは予定されていなかった。
当然、何もなかった。
試しに先日、何の当てもなくイヴの街中を歩いてみた。
普段はせいぜい手を繋いでいるだけなのに、昨日は腕を組んで寄り添う姿が多く見られた。
それは別に構わないのだが、ショッピングもそうしたアベックに占拠されたのは邪魔くさかった。
言うなれば、バレンタインデーにチョコレートを買うのが気恥ずかしくなるような、あの感覚に近い。
アメリカでは、クリスマスは家族のイベントである。
ありとあらゆる店舗が休業し、数年前まではマクドナルドさえ休みだった。
よって、温かい家庭のない者の中には食いっぱぐれる者が出てきてもおかしくない日でもあるのだ。
何も知らなかった私も、初めてのクリスマスは危うく食いっぱぐれるところだった。
幸運にも、クラスメートの温かい家庭に拾われ事なきを得た。
その後も温かい家庭に拾われ続け、文字通りオイシイ思いをしてきた。
クリスマスの翌日からはアフター・クリスマスセールが開催される。
買い物好きの私は、近隣にあるアウトレット・モールを車で駆け巡ったものである。
近隣と言っても、車で1~2時間はかかるのだが。
今更言うまでもないが、もちろん独りだ。
それでも、ナパのワイナリーに寄ったりして、結構楽しんでいた。
アメリカでは毎年そんな感じだった。
ところがある年、部屋のドアをノックする者が現れた。
[1回]
部屋の前に立っていたのは、人懐っこい笑顔を湛えたAクンであった。
他のカイロプラクティック大学の日本人留学生1人と共に現れた彼は、取り敢えずウチでカレーを食べた。
それからしばらく寛いだ後、彼がおもむろに口を開いた。
「年末、ここに避難してきてもいいですか??」
当時、Aクンは日本人の男子学生1人と女子学生3人の計5人でルームシェアをしていた。
アパートは2DKで、言葉を失ってしまうほどの改造により居住スペースが確保されていた。
(2LDKだったかな…。改造がすごすぎて、よく分からん…)
この部屋の話は機会があれば、また。
ルームメイトのRチャンが、部屋に出入りしていたMクンが大好きになったのが事の始まり。
Mクンは化学専攻の学生で、別のルームメイトKチャンに化学の家庭教師をしていたのだった。
Rチャンの好き好き光線は強力すぎて、Mクンは一時期疲れ気味に見えた。
そのうち、KチャンとMクンは恋仲となったと聞いた。
まあ、よくある話だ。
こうなると、面白くないのはRチャンである。
「アタシの方が先に好きになったのにっ!!」と、Rチャンからすると納得がいかない面もあっただろう。
もっとも、第三者からすれば、「だから、何??」で終わってしまう感情でしかないのだが…。
行き場を失った好き好き光線はその後、低気圧を経てハリケーンと化した。
部屋全体が暴風域に包まれ、勢力は増しても弱まる気配は一向に見せなかったらしい。
そこで、私のアジトへの避難へと話が繋がるのである。
別に断る理由もないので、二つ返事で快諾した。
Mクンも交えて、野郎4人で年を越そうというプランがまとまったのである。
さて、クリスマスの後、私はアフター・クリスマスセールを狙ったアウトレット巡りを敢行。
年越しに備えワインも厳選し、数本購入した。
それから、私にしては珍しく、部屋の掃除を行い、4人が寝っ転がれる空間を作りだした。
食事は唐揚げと水餃子を用意し、他は各自に好きなモノを持ってきてもらう。
ビールもスパークリングワインも冷やしてある。
日本のテレビ番組を録画したビデオも用意してある。
まあ、大体こんなもんだろう。
あとは皆が来るのを待つだけだ。
避難だけに時間は特に設定していなかったが、夜になれば来るだろう。
サンフランシスコ地区では大晦日の4時ごろからNHK紅白歌合戦を放映してくれる。
途中、CMはもちろん、中国語放送を挟んだりしながら、夜の11時まで放送されるのだ。
時間潰しには丁度いい。
布団ソファに横たわり、久しぶりの紅白を見ながら、客人が現れる時を待っていた。
つづく。
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