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先日、とある先生から次のようなことを聞かれた。

「先生はセミナーで講師補助をされてるんですか??」

聞き捨てならない話である。
特に“講師補助”の部分が。

確かに、私はセミナーにおいて講師の手伝いをすることが少なくない。
ただ、飽くまでも“手伝い”であり、その域を脱することはない。

“講師補助”と言われてしまうと、何かお金が発生しているように解釈されてしまう。
誤解無きようハッキリ書いておくが、私はセミナー絡みで金銭の授受と係わったことなど一度足りともない。
これは自分がメインのスピーカーとして参加したモノも含めてだ。

あたかも陰で小銭稼ぎをしているように思われるのは心外である。
その旨を含め全否定すると、こんな言葉が返ってきた。

「そうですか…。どこかで見た気がするんだけど、見間違えかなぁ…」

“見た”だと??

どうもこれが最近の厄介なキーワードの1つとなっている気がしてならない。

拍手[6回]

話を聞いた当初は、何かしらの業界関係の新聞などで記事になったのかな…と思っていた。
確かに、新聞でも“見た”とは言うが、多くの場合“読んだ”と表現する。
“見た”という表現を用いる以上、たとえば何かをモニター越しに“見た”と解釈するのが自然であろう。

つまり、ネットだ。
ブログやSNSなどにアップされたのかもしれない。

これは怖いし、そして恐ろしい。
何がどう表現されて書かれているのか、全く想像できないからだ。

全ては本人の自主規制に委ねられているため、規制の程度如何ではとんでもない事態にまで発展しかねない。
先のお題に書いたような歪めた解釈ではなく、無責任な無邪気さによって投稿されているに違いない。
そこには、書き手の都合による、それこそ身勝手な編集が成されているのだろう。

悪意のない分、こちらの方がある意味タチが悪い。
そして、本人が自覚した時には、時既に遅しとなっているケースがほとんどのように思う。
もっとも、指摘を受けても尚ピンと来ない連中も少なくないようだが…。

最近、このブログでは『考えろ!!』と連呼しているような気がする。
それでも、人は自分のこととは置き換えて考えないらしい。
というより、やっぱり『考え』てはいないのだろう。

いつだったか、とあるセミナーの記事がSNS上にアップされた。
当日、セミナーの冒頭では幾つかの“お願い”として、こうした行為を禁止する旨を伝えていた。
にもかかわらずである。

最近はスマートフォンを初めICレコーダー等の機器が高性能化し、誰でも気軽に、しかもキレイに記録できるようになった。
気軽が故に、著作権や肖像権に対する意識が希薄となっているのだろう。

多少なりの気遣いなのか、アップされた記事本文にセミナー講師の名前は載っていなかった。
が、「誰のセミナーですか??」というコメント欄での問いかけに、あっさりと応えてしまっていた。
それでは何の意味もないではないか。

また、別のSNSでは、それとは別のセミナーに関しての話題がアップされていた。
内容はセミナーに関してではなく、その後に開かれた懇親会の模様であった。
カメラに向かってVサインという、楽しさが伝わってくる写真は微笑ましい。

しかーし、この懇親会とはセミナー参加者有志によるモノである。
これと同じ時間帯、私は講師の先生を囲んだ懇親会に参加していた。
つまり、彼らは「都合が悪い」ようなことを言って断っておきながら、仲間内で飲んでいたことになる。

確かに、それと思しき兆候は見られていた。
セミナー会場前に集まっていながら、懇親会には参加しないと言う。
他の先生方と『連中、これから飲みに行くんじゃないの??』などと言って笑っていたのだが、まさか本当にするとはな…。

もちろん、懇親会は強制参加ではないので、彼らの判断そして行為についてどうこう非難するつもりはない。
ただ、その様子をSNSにアップするのは如何なものなのか??

彼らのSNSは当の講師の先生とも“友達”として繋がっている。
ということは、そのアップされた記事・写真を講師の先生も観るのである。
皆と触れ合える機会を楽しみにしていた先生に対して、その行為はあまりにも配慮がなさすぎるのでは…??

SNSの本文では「先生のセミナーはいつも勉強になります」などと書いてある。
その先生を袖にして、いつでも会えそうな仲間内で酒を酌み交わした挙句のVサイン写真。
こうなると、個人的にはようわからんね、もう。

多くの人にとって,SNSというのは公開日記のような感じなのだと思う。
最初は公開することに対しちょっとした抵抗もあったのだろうが、回を重ねる毎に薄れていったに違いない。
むしろ、残されるコメントが励みとなり、快感になっている人もいることだろう。

気軽に発信できるのがネットの利点の1つでもある。
気軽過ぎて、不特定多数の目に晒されているという事実を忘れがちのようだ。

最近ではtwitterによる“つぶやき”から問題に発展するケースが多々見られる。
世間的に見て、「こっちの方が正しいのに、おかしくないか??」程度の訴えだったりするのだろうか。

中には、暴論をぶちまけた挙句に「僕の言っていること、間違ってますか??」などと平然とつぶやいてしまったりしている。
一般庶民ならともかく、政治家や官僚といったそれなりの肩書きを持った人がそうしたことをやってくれるから困ってしまう。

責任ある地位に立つ人による無責任な発言。
それが“つぶやき”だから許されるとか、軽く考えてはいないだろうか。

本人としては考えているのかもしれないが、考えているようで実は何も考えていない。
考えなしにつぶやけるのは子供だけでいい。

そもそも、何でつぶやくのか??
以前、某タレントも言っていたが、つぶやくから問題が起こるのだ。

“つぶやき”という割には、他人様の内面にまでズケズケ入ってくるかのような物言いをする。
面と向かってだったら絶対言えないようなことでも、ネットやツイッターなら平気で言ってのける。
それも納得がいかない。

反論が出ると、それに応戦したり、また「自分が正論だ」と言わんばかりの見解を展開しだす。
そのうちトーンダウンしながら、落としどころを模索していく。
多くのパターンは大まか、こんな感じだ。

気軽に、気楽に参加できる一方、気楽に止めるわけにはいかないらしい。
実社会での繋がりが希薄な分、ネットで必要以上の繋がりを求めているのだろうか。

どっちの社会で生きて、生活しているんだ??
どっちの社会が大切なんだ??

そんなワケもあって、私はtwitterに手を出さない。
facebookは実名だから、まだ多少の責任感が生まれる。
って、必ずしもそうではないらしいが…。

先日、同級生がfacebookで次のようなことを述べていた。

「本当にメディアリテラシーの低い連中が多すぎて落胆する。
 事実かどうかを確かめもせず、他人の発言に感情的に条件反射するだけ」

全く以てその通りだと思う。
今回のお題は自分に対しての戒めの意を込めてアップすることとしよう。
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