前回の内容を書いている時、私の元に“カイロ通信”が届いた。
RMIT日本校及びTCCの卒業生と関係者宛に定期的に届けられる会報といったところか。
ここから学校の近況を知ることができるのである。
タブロイド版表裏の1枚のみなので、その内容も簡潔な結果報告のようなモノが多い。
中には講師陣のカイロプラクティックに関する掲載もあり、それなりに楽しめる。
ただ、今回の内容に関してはどうにも容認しがたい部分があった。
別に私に関してどうこう書かれている訳ではないので、スルーしても問題はない。
(一部、『これはワシのことか??』と思えなくもない記述はあったが…)
それでも、スルーしてしまえばこの先、更にエスカレートしそうな感もある。
“カイロ通信”がどれだけの人の目に触れているのか、私如きでは知る由もない。
ということは、ここに改めて書くことで、更に多くの人にまで話を広げてしまう可能性がある。
それでも書いてしまおうと思う。
[10回]
此度の内容で最も気になったのが、外来センターにおける“事件”に関する記述だ。
当時、外来クリニシャンを担当していたD.C.が、RMITで教えているフィロソフィーを否定したという。
その上で、自らが習ってきたフィロソフィーを展開し、その結果、学生たちが混乱したとのことだ。
私はこのD.C.とは10数年の付き合いがあった。
そのため、本人からは本採用になる前から話は聞いていた。
逆に、決定後は講師陣の数人から、その人となりを質問されていた。
その中には、お偉い先生も含まれていた。
あの時「とうとうRMITにもパーマー卒の先生が来てくれた」と歓迎していたのは何だったのか。
「(こんなことになるなんて)、話が違う」と、今となっては言うのかもしれない。
しかし、それは勝手に思い描いていたストーリー通りに話が運ばなかっただけのこと。
「あなた、変わったわっ!!」と、付き合った後で彼氏に言ってのける彼女と、レベル的には大差ない。
そもそも、私は尋ねられた際『良い意味でも、悪い意味でも、学生たちは混乱すると思いますよ』と答えていた。
彼がストレート・カイロプラクターである以上、それは当然のことだ。
それでも学生たちに損はないと、私はそう思っていた。
それに対し、笑顔でこう返してくれた。
「フィロソフィーなんて学校によって違う。
むしろ、違ったフィロソフィーに触れるられることは学生にとってもプラスになる」
これには私も素直に頷いた。
それなのに、本人が去った今、知るか知らないかのところで勝手に“事件”扱いである。
仮にそうだったとしても、その“事件”は想定内だったはずだ。
にもかかわらず、それを未然に防ぐなり対策を講じてこなかったのは、手落ち以外の何物でもない。
それとも、それを度返ししてでも、ただ単純にパーマー・ブランドを手に入れたかったのだろうか??
考えたくはないが、強ちあり得ない話ではない…。
それに応えたわけではないだろうが、記事では以下の一節が続く。
「どんな意見も説明も、ある現象が起きた後で人が考えた後づけ理論である」
それはそうかもしれない。
しかし、あまりにも都合のいい解釈による後づけは、身を滅ぼすだけではないか。
そんなことでは誰も相手にしなくなるし、誰もついて来はしない。
先の“事件”に関しても、私の見解とは大きく異なる。
それは前回触れた通りだ。
もっとも、私は“事件”現場に居合わせたわけではないので、コトの是非までは分からない。
それでも、1人のクリニシャンによって混乱が引き起こされたかのような一方的な記述には賛同しかねる。
むしろ逆に、1人の持つ強いフィロソフィーに掻き回されてしまうという、教育機関としての脆弱さの方が問題ではないか。
それに対する後づけがあるのだとしたら、聞いてみたいものだ。
今から10数年前、当時のナショナル・カイロプラクティック・カレッジに一通の手紙が届いた。
差出人は母校の現状を憂う1人の卒業生で、そこには下記のように認められていたという。
「このままでは、ナショナルはダメになる」
これをきっかけに、ナショナルでは教育面での改革が行われたと聞いている。
私の知る限り、確かにテクニック面では大きく改善が成されるに至った。
更にその後、カリキュラムの大幅な見直しが検討・実行された。
現時点で、TCCは国際基準を満たしている、日本で唯一のカイロプラクティック教育機関とされている。
何だかんだ書いてはいるが、それでも日本でカイロプラクティックを学ぶのであればTCCしかない。
どれだけしっかり教えたとしても、パートタイムの2年制専門学校ではどうしたって限界がある。
ならば、TCCの方が絶対的にマシだ。
このブログを含め、インターネットでは誰がアクセスしてくるか分からない。
一見、全く関係なさそうなキーワードから検索されてしまうことは多々あるのだ。
そうした際に怖いのは、日本の現状というだけでなく、カイロプラクティックそのものが「ダメだ」と思われてしまうことである。
私達カイロプラクターは、カイロプラクティックの素晴らしさを説いていかなければいけない。
そこには責任と覚悟が必須となるだろう。
そして、その根幹となる教育機関は、最もしっかりしなければならないのである。
それなのに…。
何やってんだっ!!
今回のブログの内容も、本来ならば“カイロ通信”発行元であるTCCに直接送るべきだとは思う。
それは先に述べた通りだ。
ただ、そう思う一方で、学校に対しての諦め感も拭い去ることができない。
これは前回述べた通りである。
一般的に、学校という組織は学生の言うコトに聞く耳を持たないモノ。
卒業生となった今、私の声は正確に届くのだろうか…。
尚、念のために補足しておくが、私は特定の人間を擁護している訳ではない。
もし、そのように思われたのだとしたら、非常に哀しく思う。
全ては私の文才の拙さによるモノである。
とにかく、ちゃんと『カイロプラクティック』をやってくれ!!
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