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以前、とあるセミナーが中止になった旨を書いた。
セミナー自体は代替の先生によって行われ、このことはJAC発行のニュースレターにも掲載された。

結果、代替の先生はJACの会員だったということで、1年間の会員資格停止処分が下ったという。
もっとも、それがどの程度の痛みを伴うモノなのか、定かではない。

ニュースレターには、ほぼ時を同じくしてセミナーを行った海外在住の日本人D.C.に対してもセミナーの中止要請を行ったと記されている。
このD.C.はJACの会員ではないので、処分云々を言えようはずもない。
今後の成り行きに注目といったところか。

と、ここに来て突然動きを見せるようになったJACである。
これまでも活動はあったのだとは思うが、これ程までに分かりやすい動きを見せたことは近年無かったように思う。
何か変なモノでも口にしたのだろうか…。

とはいえ、こうした動きが業界でどれだけの影響を与えるモノなのかは甚だ疑問である。
先のセミナー中止・代替に関しては、日本人D.C.の多くがブログ等で反応している。
一方、それ以外の業界関係者でこれらの話題に触れているサイトには未だ遭遇していない。

いわゆる“国際基準”カイロプラクター以外からすれば、どーでもいい話なのかもしれない。
もっとも、“国際基準”カイロプラクターの多くも、この話題に対して特にコメントはしていないようだ。

個人的にはなかなかどうして大した問題だと思うのだが、これはどういうことなのか??
答えは1つ。

要するに、JACの動向など、ほとんどの人が気にも留めていないのである。

以前アップしたブログの内容に関して、次のような意見が届いている。

「JACやTCCは、なんか勘違いをしている」

拍手機能を介してのコメントなので、これに対してこちらから返信することはできない。
もちろん、どこの誰が残したモノなのかも分からない。
それでも、わざわざ意見を述べてくれるのだから、有難い話である。

勘違い、か…。
そうかもしれない。
しかし、それならまだ救い様がある気がする。

怖いのは、意図的に勘違いしているようにも思えるところだ。
カイロプラクティックありきではなく、JACありきのカイロプラクティックという志向が感じられる。

だからだろうか、カイロプラクティックの本質が変わってしまうことへの危機感が非常に希薄である。
それに対して、「変化は時代が求めたモノ」の一言で片づけてしまわれては困ってしまう。
時代に沿った変化はある程度必要だが、その本質だけは時代と関係なく存在し続けなくてはならない。

時代の流れにいとも簡単に流されてしまうのは、確固たるモノが存在していないことを意味している。
つまり、本当の意味でのフィロソフィーがないのである。

これは、ある学生に聞いた話。
初回の検査を行い、利用者に対し施術に入る前に行う説明と方針についての実習があった。
その際、担当の先生からこう言われたという。

「カイロの説明なんてしなくていいよ」

その先生曰く、「症状の話をすれば、それがカイロの話になる」とのことらしい。

………どういうコト??

まあ、聞いた話なので、正確なニュアンスまでは把握できない。
もしかしたら、「症状の話をする時にカイロプラクティックの話もすればいい」って意味合いかもしれないし…。

………苦しいか…、………………………だな。

理由はともかく、そのニュアンスも含めて正しく伝わらないような教育をされては困る。
そもそも「カイロの説明なんてしなくていいよ」とは何事か??

言った本人にもそれなりの言い分・言い訳があるとは思うが、それに耳を傾ける者はいないだろう。
それくらい、お話にならない。
この背景には、その本人のカイロプラクターとしてのフィロソフィーの無さと、フィロソフィー軽視の姿勢が見てとれる。

フィロソフィーに関しては、アメリカでも全く教えない学校があることから、その有無の良し悪しについての言及は難しい。
ただ、RMITはカイロプラクティック・フィロソフィーを教えていることを自負していた学校である。
ならば、教育側に立つ者は必然的にフィロソフィーを重視しなければならない。
然もないと、学生が混乱を来してしまう。

RMITから名を変えたTCCからもいずれは卒業生が出る。
独立開業する時、彼らは“国際基準カイロプラクター”の文字が前面に押し出してくるのかもしれない。
まあ、それも1つのウリだから、他人がする分には決して悪いとは思わない。

ただ彼らはこの先、カイロプラクティックの説明はしない代わりに、国際基準の説明はするのだろうか??
もしそうだとしたら、虫垂炎を疑うほどに片腹が痛いわ!!

一方で、「最近の卒業生は、“国際基準”の言葉に頼り過ぎではないか」と嘆く先生もおられる。
裏を返せば、学生インターン及び卒業生の実力低下を意味している。
そこで打ち出されようとしたのが、「フィロソフィーの強化」らしい。

学校がTCCへと変わり、その方針が採用されたかどうかは確認していない。
が、片やフィロソフィー強化を打ち出し、片やそれを軽視する。
そこから学生に生じる混乱は、明らかに指導する側のミスに起因するモノと言えよう。

RMITの時代は、カリキュラム作成側と実際に教壇に立つ現場側との間に意思の疎通が見られなかった。
矛盾を問い質すと、講師それぞれが各人の見解で答えざるを得ない。
統一の見解が無いため、困惑は更に深まっていく。

深まりつつも、それ以上問い詰めようという動きも無かったように思う。
そこにあったのは、“諦め”である。
繰り返される矛盾と困惑から、やがて学生は学校に期待を寄せることを止めたのだ。

「入学してきた時と同じ気持ちで、カイロプラクターとして生きる道を選んで良かったと思う者は??」
卒業間際に、ある先生から尋ねられた質問である。
それに挙手で答えた卒業生は、私を含め3人のみであった。

学生たちはRMITを通してJACを見ていた。
RMITに対して“諦め”を覚えた以上、その先にあるJACに何の期待が持てるというのか。
それまで抱いていた期待をRMITに裏切られたという失望感が強いのかもしれない。

セミナーに対する規制以外に、JACの活動は近年あまり目に止まらない。
学校がTCCとなった今、学生たちのJACを見る目はどう変わったのだろうか。
もっとも、JAC自体が変わらなければ何も変わろうはずがない。

日本のカイロプラクターはJACに期待してもいいのだろうか…??

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