これまでも何度となく書いてきたが、マイナーな私でもそれなりの付き合いはある。
日本カイロプラクターズ協会(JAC)関係やRMIT・TCCはもちろん、D.C.ともよく一献傾けている。
加えて、専門学校出身の先生方とも繋がりを持っている。
これはRMIT出身者としては珍しいことなのかもしれない。
私に言わせれば、学校の枠に縛られること程、無意味なことはない。
そんな考えの持ち主であるため、結構好き勝手にやらせてもらっている。
その最たるモノが、このブログかもしれない。
最近は更新ペースがめっきりと落ちたが、まだ当分は好き勝手に発信していくつもりである。
そのうち何処かしらの方向から横やりでも入るのだろうか??
まー、ないだろ。
横やり入れるヒマがあったら、もっと他にやるべきことがあるはずだし。
それはともかく、そうした交遊などの経験から言えることがある。
D.C.、国際基準、専門学校卒のいずれにしても、周りの動向と関係なくプラクティスを続けている人がほとんどだということだ。
悪く言えば、「事なかれ主義」ということになる。
そう、横やりも入れない代わりに本来すべきこと(?)もしない。
でも、それでいいのか??と思ってしまう。
こうした「事なかれ主義」で、自分から率先して動くこうとはしない人々。
カイロプラクティック業界としては、学校の枠云々よりもむしろこっちの方が問題なのである。
[3回]
そろそろ1年くらい前になるのだろうか、日本では政権交代が起こった。
それなりの期待はあったとは思うが、今のところ大した変化は起こっていない。
これまでの与党が野党になっただけで、言う内容もそれまでの与党と何ら変わらない感がある。
そして、そうした姿勢を問い質そうとする野党。
互いに、よくもそこまで自分のことを棚上げできるものだと、呆れと通り越して感心さえしてしまう。
マスコミを通して見れば、国民の動向もかなりテキトーだ。
当初は、「自民党に愛想を尽かした人が民主党に票を投じただけで、別に民主党を支持した訳ではない」と報道されていた。
ところが最近では、皆が民主党を支持していたことになっている。
“得票=支持”という意味では間違っていないのだが、何か本質をすり替えられているように思えてならない。
実のところが知り得ないだけに、モヤモヤ感だけが募ってしまう。
考えてみれば、カイロプラクティックの業界も言い換えればミニ政党の集まりとも言えようか。
尤も、「集まり」といえる程、集まっている姿を見たこともないが…。
この集まりの無さが政治不信、イコール諦めへと繋がっている。
とはいえ、それも所詮、言い訳に過ぎない。
そんなことを言う前に、自分で何かしようと思い立てばいいのだ。
何もしないにもかかわらず文句だけは言う。
加えて、何かしたヤツに対しては冷たく批判し、非難する。
その割に、いざ道が開ければ、簡単に手の平を返す。
信用できない連中のまあ多いこと、多いこと。
そんな中、先日終了したサッカー・ワールドカップに関する報道では、これまたビックリするくらいの手の平返し。
ここまでくると、これはもう国民性なのかもしれない。
何とも情けない話である。
ということは、よっぽどのアクションを起こし、なお且つかなりのメッセージを発信しなければならない。
それも単発ではなく、継続し続けなければ意味がない。
もちろん、半ば言いがかりのような批判や非難に晒されることは容易に想像できる。
しかし、そんなのを真剣に相手にすることはない。
何故なら、そのほとんどは簡単に手の平を返す連中なのだから…。
早いもので、今年ももう後半に入った。
今後、カイロプラクティックに関するイベントが幾つか予定されている。
参加した人は後日、「楽しかった」「感銘を受けた」といった話を自分のブログなどに書き記すことだろう。
そして、こう書き残すのだろう。「来年も是非参加したい!!」
うーん、もういいじゃないかな、そういうの。
もちろん、参加し続けることを悪いとは決して思わない。
ただ、毎回毎回受け身の姿勢で参加していても、得られるモノは少ないんじゃないかと思う。
もっと能動的な姿勢があってもいいのではないか。
イベントに感銘を受けたのであれば、その感銘を自分なりの形にして示してほしい。
そして、それは最早ブログなどではなく、実際に触れて感じられる形であることが望ましい。
そう、私達が求めているモノ、そして求められているモノは、単なる参加だけではなく、身のある実践である。
休日返上で得られた知識や技術を自分のモノにして、それを正しく提供していかなくてはならない。
そうした努力と実践が、後に還元されていくのである。
それを無くしては、セミナーももはや観劇の1つにすぎない。
「楽しかった」「感動した」「また行きたい」というコメントだけなら、観劇のそれと大差ない。
感想のコメントだけで終わってしまえば、決して安くないセミナー代が額面以上に高くついてしまうことになる。
逆に、しっかりと実践できれば、還元を受けることで、結果セミナー代は安くつく。
最終的にセミナーの代金を決めるのは、他の誰でもない本人なのである。
先にも述べた通り、単発なアクションに対する、リアクションもまた単発で終わる。
継続してこそアクション・リアクション共に大きく、そして倍々に増幅されていくのだ。
アクションそのものを面倒と思うことなかれ。
面倒と知りながらも、まずは“面倒”という発想そのものを捨て去ることだ。
然すれば、全てが当たり前のことになる。
臨床に対して真摯に取り組むのは、臨床かとして当然のこと。
ただ、それだけでは“カイロプラクティック”が伝わらないかもしれない。
求められるのは、プラスαの行動力である。
ちゃんとカイロプラクティックしなさい。
その上で、何かしなさい。
PR