生活の中で時々出てくる質問がある。
「ご職業は??」
答えは当然、「カイロプラクターです」となる。
もっとも、「カイロプラクター」という単語が通じずに、「カイロプラクティックをやってます」と言いなおすこともしばしば。
「カイロプラクティスト」という間違いもあった…。
悲しいけど、これが現実。
「整体師さんですね??」と、わざわざご丁寧に間違えて念押ししてくれたりもする。
「いえ、カイロプラクターです」と訂正すべきところではあるが、下手に行うと逆にイメージが下がりかねない。
環境が許せば確実に説明するのだが…。
「カイロプラクティック」の名前はずいぶんと浸透した。
名前だけが知れ渡り、その本質はお座成りとされてしまいがちである。
さすがに鍼灸と間違える人はいないだろうが、整体やマッサージと混同している人はおそらく少なくないだろう。
何故、混同が続くのだろうか??
『「カイロプラクティック」と「整体」』のお題でも書いたように、説明不足の部分は否めない。
ただ、それ以上に、一般の人からすれば大した問題ではない、という一面が大きいのではないか。
要は、「治れば何でもいい」という考え方。
利用者側として、その考え方は至極真っ当と言えよう。
では、カイロプラクターとしてはどうするべきなのだろうか??
[0回]
以前、悩める学生がいた。
インターンになり立てだった彼はカイロプラクティック治療に対して悩んでいたようだった。
まあ、誰もが1度は通る道ではある。
ただ、話を聞いていると、カイロプラクティック診断を導き出す過程が全く成っていないことが分かる。
「基本に戻りなさい」と言っても、どうも納得できないらしい。
挙句には「人間の身体に興味あっただけで、カイロプラクターになりたいわけじゃない」と言い出す始末。
要は、オールマイティーな治療家、つまりヒーラー(healer)になりたい、のだという。
カイロプラクティックはそのための第一歩に過ぎないらしい。
「先のことは知らないけど、まずはカイロプラクターとしてすべきことをやったら??」といい、その場を収める私。
(実際は、これとは少し違う表現をしたような気もするが…)
利用者目線からすれば、ヒーラーほど都合のいいものはない。
タウンページの業種欄に多くの業種を登録しているところは、専門職というよりむしろヒーラー色が濃いのだろう。
真偽の程は分からないがな…。
カイロプラクティックの治療が「ボキボキッ」といった音で表現されることは少なくない。
女性の中には、「あの音が怖い」という理由からカイロプラクティックを避ける人もいるくらいだ。
実のところ、音がする時もあれば、しない時もある。
ところが、「音」のイメージが強いのか、音がしないと満足しない人もいる。
関節が動きを取り戻していたとしても、“音がしない=失敗”と解釈されてしまう。
更には“音がしない=失敗⇒ヘタクソ”という公式が勝手に成り立ってしまったりする。
カイロプラクターはそうした既存のイメージを払拭すべく、正しく向き合っていかなければならない。
いわゆる「患者教育」の重要性である。
カイロプラクティックには芸術(Art)、哲学(Philosophy)、そして科学(Science)がある。
それでも、そんな話は利用者からすれば邪魔くさいだけなのかもしれない。
アジャストメントができる、できないは大した問題ではない。
状態が改善されれば、それでいい。
そうだろうか??
そうかもしれない。
そうだろうか??
違うだろう。
ここがヒーラー(Healer)とカイロプラクターとの違いではないだろうか。
うだうだ書いてるだけで中身がなかったな…。
だから、つづく。
PR