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JACの全体総会に参加してきた。

毎年、特に変わり映えのしないメンバーが集まり、議事が粛々と進められていく。
予定されている2時間が有り余るほど、何事もなく、また何の盛り上がりもなく終了する。
これが通年のパターンだった。

ところが、今年は違った。
2時間を少しオーバーするくらいに議題は押した。
中でも、安全教育プログラムに関しては多くの時間が割かれる結果となった。

「“安全教育”というネーミングが反感を買っているのではないか??」

こうした意見も出された。
この“安全”という言葉が逆に反感を買ってしまい、受講生数が伸び悩んでいるのではないか、ということだ。

私は出される意見を聞く側に徹していたが、大変興味深く面白かった。
他にもJAC認定オフィスの規約に関して等、私が普段から思っていた疑問が他の先生方の口から放たれていく。
なかなか気分のいいモノであった。

そう、このあたりまではね…。

拍手[9回]

一方で、

『カイロプラクティックと整体との表記が曖昧になっている会員・卒業生のサイトが多い』

という私の意見はかなり軽く流された。
他の人がどう思ったかは知らないが、個人的には結構カチンときた。
大げさかもしれないが、今のJACの体制・姿勢があの瞬間に集約されていたようにさえ思えた。

「そんな些細なことをわざわざ発表してんじゃねーよ」

それくらいに思われたのかもしれない。
確かに、安全教育プログラムや法制化の問題と比べれば小っちゃい話である。
が、決して些細な問題ではないはずだ。

時間が押していたこともあり、実のところは知る由もない。
が、仮に本当に些細なことだと決めつけられていたとしたらとんでもない話である。
カイロプラクティックの倫理観を唱っているのであれば尚更である。

『JAC正会員と称しているヤツが“カイロプラクティック整体”とか“米国整体カイロプラクティック”とか書いているのをスルーしておいていいのか??』

これが私の言い分。
それに対しての注意喚起を促す行為をお願いするのは、そんなに的外れなことだっただろうか??

どうもモノの観点が違うらしい。
以前のブログ荒らしの件でも同じような感覚に陥ったのを覚えている。

ブログの件はまだしも、表記に関しての注意喚起などを個人レベルで行えば、揉めること必至である。
結果、逆にこっちが謂れのない非難を受けることになりかねない。

問題が生じ、それを会長に直訴すれば「今後は所属ブロック長を介すように」と言われる。
介せば介した分だけ話が伝わらないのか、意を汲み取らない返答が届く。
そして、総会で発言すれば、明らかにつれない態度であしらわれる。

最早、どうにもならんということか。
アドリブに弱いというか、決められた台本の中でしか力を発揮できないように思える。
その割には根回しがヘタだし、それでもブザマな体は見せまいとするメンツにだけはこだわる。

“カイロプラクティック”と“整体”の混用はメンツに関わってこないのだろうか。
メンツはともかく、カイロプラクティックにはこだわって然るべきだと思うのだが…。

以前、私の古い友人が“カイロプラクター”という言葉を知らず、“カイロプラクティシャン”と称したことがあった。
知らないなりに造語まで作ってくれた、その思いに感謝をこめて訂正させてもらった。

ところがである。
ネット上では“カイロプラクティショナー”やら“カイロプラクティスト”等、わけの分からん表現が蔓延っている。

見るからに目新しさだけを念頭においた表現。
カイロプラクティックに関して如何に何も考えていないか、それだけはよくわかる。

本来であれば、別に目くじらを立てるような話ではない。
ただ、“カイロプラクティック”も“カイロプラクター”も浸透していない中、新たな造語で混乱に拍車をかける必要もないはずだ。

JACの会員であれば守るべきところだし、守らせるところでもあるだろう。
それはRMIT並びにTCC卒業生としても同じことだと思う。

総会後に行われたディスカッションで幾つかのテーマが話し合われた。
中には「JACのこれからのあり方」といったテーマもあった。
その中で、ディスカッションでたまたま同じグループになったCSC修了の先生がこう仰っていた。

「カイロプラクティックで纏まろうとするならば、“WHO基準”とかを1回外さないと話が先に進まないと思いますよ」

やはり、RMITやTCC以外の目線を持つ人からすればそういう考えになると思う。
私がこのブログで訴え続けてきた通りだ。

こうした意見がどれだけ汲み上げられるモノなのかは一切分からない。
単なる企画モノの中で出てきた話として、そのまま忘却の彼方へと流されていくのだろうか。
台本に載ってない話であるから、リアクションすらないのかもしれない。

ま、期待薄だよね。

正直、それくらいに、また想像以上に落胆させられた。
ディスカッション後の懇親会は、他の予定が重なっていたこともありパスさせてもらった。

予定していた11月のシンポジウム参加も一旦白紙に戻すことにした。
元々他の予定も入っていた日程だったので、今一度再検討させてもらおう。

JAC in the Box.

Boxの中から外は見えない。
Boxの中から外に訴えかけても、声はなかなか届かない。

何度でも書く。
正しいことをしているのなら、結果は自ずと出る。
出ないとしたら、それはやり方が間違っているのだ。

違う側面から見れば、世の中の流れになっているモノが正しいのである。
世の中の流れを変える、それだけの覚悟があるのだろうか??

こういうことを書くと「またJACを非難している」などと思われがちである。
どうも世の中には“All or Nothing”思考というか、極端に解釈する人が少なくないらしい。

単に現状に対しての注文であって、JACそのものを否定しているわけではないのだが…。
これもまた、台本に無かったことなのか…。

JACが間違っているとは全く思わない。
ただ、やり方を変える必要はあると思う。
残念ながら、そうした姿勢は少なくとも今回の総会からは一切感じることができなかった。

だから、個人的には今のJACに期待はしない。
ただ、希望は捨てない。
 
訴え続ける。
それしかない。
諦めたら、そこで試合終了なのだから。

ただ、長ぇ試合だよな…。
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