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決して上から目線でモノ言うわけではありません。
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カイロプラクター
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人間みな平等。
男女平等。

そういう一方で、下世話な格付けが存在する。
それはあまりにも下世話なので、大抵は目に見えない形で存在する。

格付けをされたとされる側は「差別」と言って怒りを露わにする。
格付けしたとされる側は「区別」と言って平然を装う。

もっとも、自分が上もしくは認められるような形で格付けされた場合は「まあまあ」で事を収めようとする。
小さい話であるが、根は結構深い。

この見えない格付けが、日本のカイロプラクティック業界をややこしくしている。


日本のカイロプラクターは大きく3つに分類される。
1つは、その大勢を占めると思われる、専門学校卒の先生方。
1つは、国際基準の学校を卒業された先生方。
そして1つは、D.C.の先生方。

D.C.の先生方は本場アメリカで、母国語ではない英語で様々な苦労の中勉強されてきている。
本場=ホンモノ、という自負から、他の人々を無意識のうちに下に見てしまいがちに思える。

専門学校卒の先生方は、自らの勉強量の少なさを十分自覚している。
それだけに向上心は高く、そこから培われていく自信とプライドはかなり強い。
そのため、単に「専門学校卒」という理由だけで見下されることには過剰なまでに反応する傾向が見られる。
特に、アジャストメントの下手なD.C.に対しては辛辣で手厳しい。

まあ、ここまでは昔からずっと見られた構図だ。
しかし、ここにRMIT大学日本校という「国際基準カイロプラクター」が加わった。
これにより、更に複雑な構図が生まれた。

D.C.の先生方は国際基準の先生方を決して同等とは認めず、幾分か下に見るように感じる。
「日本で勉強した」というだけで、見下す根拠は特にないような気がするのだが…。
おそらく、「D.C.ではない」という「区別」ではないだろうか。
それ故、「Non D.C.」という表現が成され、そこに専門学校卒との区別はない。

専門学校卒の先生方は、国際基準の先生方に対し、そこそこ冷たい対応をする。
中には、「国際基準の利点は知識のみ」と決めつけ、先に卒業した分、「臨床経験は自分の方が上」だと言う人もいる。
当然、テクニックに関しても自分が上だ、としている。

これらに対して、国際基準の先生方も、変な意味で負けてはいない。
自分たちを「正統な教育を受けたカイロプラクター」とし、専門学校卒というだけで相手にしない。
「正しいカイロプラクティック」という表現を用いることも少なくない(これについては後日改めて書きたいと思う)。
更に、「D.C.の人たちって、結局は力任せだしさー」とか言う人もいる。

………。 くだらねぇな。

「そんなことはない」「ふざけるなっ!!」「何言ってやがるっ!!」
ここまで読んで、PCの前でそういった怒りを爆発させている貴兄もおられるだろう。
もちろん、皆が皆このような狭い考えであるはずはなく、極端すぎる例なのかもしれない。
しかしながら、当たらずも遠からずな部分もあるのではないか??

以前、「TCCがD.C.号の学位を発行する」との報に激高したリアクションを見せたのが、そのいい証拠である。
また、上記のようなことをきっかけに、これまで幾つものカイロプラクティック掲示板がネットで炎上・閉鎖を繰り返してきたのではなかったか。

自分で言うのも何だが、私はアメリカと日本の両方でカイロプラクティックを学んだという、稀有な存在である。
また、アメリカで解剖実習を手伝ったことから、専門学校の人との交流もある。
そして、上記の幾つかは私自身に向けられたものも含め、実際に感じたことである。
何の根拠もなく発言しているつもりはない。

治療家として、自信とプライドを持つことは悪いことではないし、むしろ必要だ。
プライド(pride)を訳すと「自尊」となる。
しかしながら、プライドには「自惚れ」という意味もある。
「自尊」と「自惚れ」を履き違えてはいけない。

まずは、相手を認めることから始めてはどうだろうか。
そこにマイナスの要素は必要ない。
見えないモノサシを用いて、見えない目盛りを凝視することに時間を費やすのは、それこそ時間のムダではないか。

心にまっさらなキャンバスを開いてほしい。
そして、そこに見えるモノだけを素直に描いてみよう。
見えるモノを繰り返し見続けることで、初めて見えなかったモノが見えてくる。
見えないモノを見ようとしていては、最後まで何も見えやしない。

人の意見は取り敢えず無視。
何の脚色もデフォルメもいらない。
見えるモノをそのまま描ける人はそうは居らず、脚色は勝手に行われる。

そこに描かれたモノが、この業界におけるカイロプラクターとしての視界の全てとなる。
キャンバスの大きさも含めて、おそらく狭い。

キャンバスが広がっていけばイイと思う。
1人1人の、1つ1つのキャンバスが繋がっていければイイ。
まるでジグソーパズルのように。
そして、ジグソーパズルのピースが繋がって1つの絵を成すように。

そんなことを考えているのは、私だけなのだろうか…??

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