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オリンピックを前後して、マスコミを賑わせる話が2件あった。

1つは、いわゆる“現代のベートーベン”ってヤツ。
もう1つは、STAP細胞に関するヤツだ。

一見、無関係な話なのだが、大きな共通点が1つある。
「“ウソ”の有無」ってことだ。
 
その辺りを明らかにするために開かれるのが記者会見というヤツだ。
が、さすがに最初から最後まで見ていられるほどヒマではない。
その後のニュースやワイドショー等で目にする程度に止まってしまう。
  
しかしながら、そうした媒体では得てして頭の悪そうな質問ほど取り上げられているような気がする。
頭が悪すぎるというインパクトはあるが、中身はない。

質問された側からすれば、いい迷惑だ。 
もちろん、困惑させるのが狙いなのかもしれないが、見る側からすれば不愉快になることも少なくない。

それらを含め、何となーく頭を過ぎったことを書いてみようかと思う。
今回の両者は根本的な立ち位置が異なっている。

片や、音楽家は人前に出る仕事。
片や、研究者は出ない仕事である。
人前に出ない者からすれば、会見に出るというのはよっぽどの度胸を据えない限り難しいだろう。

ましてや、あれだけの量のフラッシュを浴びせられるのである。
下手に正面を向いていたら、しばらくの間は視界が利かないに違いない。
そんな中で冷静かつ正常な受け答えができるもんなのかねーと素直に思った。

肝心の内容に関してだが、いろんな人がいろんな観点からモノ言っているので、もう十分かと思う。
音楽家のは謝罪会見でもなんでもなかった感じで、鼻で笑えたし。

一方、研究者のそれは少しだけ興味深かった。
『何でそんなこと言うんだろう??』という疑問を抱きながら、何とも言えない気持ちが湧き上がってきた。

正直、学生時代に何度となく繰り返してしまった、教授に対しての“言い訳”にすごく似ていた気がしたのだ。
自分に置き換えて、『何故、あんなことを言ったのだろう??』と問い返してみる。

出てきた答えは、『自らの“保身”のため』であった。

自分の置かれている状況を何としても打破しなければならない。
そのためには何をするべきか??
結果ありきの逆説でその展開を構築していく。

根拠もないし、証明するモノも何もない。
それでも『trust me』と言い続ける。
何処ぞの腐った首相のようではあるが、とにかくその場では勝ちきらなくてはならなかった。

今回の研究者が当時の私と同じ心境であったかどうかはわからない。
ただ、『なんか学生レベルだなー』という感は否めない。
 
一連の会見・報道を受けて、研究者に対して支援、擁護する向きもあると聞く。
これもまた、その人の立場が大きく作用しているように思う。
たとえば教育者の立場にある人であれば、「チャンスを与えてはどうか??」と諭す。

確かに、基礎の面での教育が足りなかったのでは??と思わせる点が幾つもあった。
責任者1人というより、周りからの指導が明らかに不足していたように感じる。
だからこその擁護論なのかもしれない。

それに引き換え、同業者の追及は厳しい。
言葉も選ばないというか、敢えてキツめの表現を用いて、一切の妥協を許さない。
「そんなアマい世界じゃねえんだよ」と言わんばかりの辛辣なコメントが並ぶサイトもある。

ま、同業者なんてそんなモンか。
「アイツはダメだ」とか「カイロプラクターじゃねえ」とか平気で言って回る輩もおるし。
言うのはまあいいとして、回るのはちと理解できん。

教育の重要性に関しては今も昔も変わりはない。
しかしながら、教育の在り方という意味では大きな違いが生じてきているようだ。

私らの時代では、1から3ないし5程度教えてもらえれば良い方だった。
今では1から10まで教えなければ、教わる側が納得いかないらしい。
言い方を変えれば、「教わってないことは知らない」というわけだ。

「知らない」で生じたミスは「悪意のない間違い」とも言える。
ただし、それは“常識”からすると「あり得ない」こととして批難される。

アインシュタイン曰く「“常識”とは、人が18歳までに身につけた偏見のコレクション」である。
よって、常識を掲げて批難をを繰り返す人はまず大したヤツではない。

そもそも、“常識”ほど非常識なモノはないのだ。
物事をきちんと説明できない人ほど、“常識”という言葉で誤魔化す傾向があるように感じる。

カイロプラクティックの場合、ほとんどの人が18歳以降から勉強を始める。
よって、アインシュタインの言葉からすれば、カイロプラクターとしての“常識”は存在しない。
あるとすれば、それは“常識”ではなく“あるある”だ。

カイロプラクティックにおける“常識”を問うのであれば、そこは教育に委ねる以外にない。
昔ながらのカイロプラクティックを今の教育方法で行う必要があるだろう。

言うほど簡単な話ではない。
しかし、そうでなければ、またそうしなければ伝わらない。

バイト程度ではあるが、私も人にモノを教える立場になったことがある。
さすがに1から10までとはいかなかったが、質問には必ず答えを出すようにしていた。
時には宿題とさせてもらったりもしたが、最低限の仕事はしていたつもりだ。

それでも、今の時代では足りないのだろう。
最近では、まず「知る」「知らない」を確認した上で話を進めるようにしている。
「悪意のない間違い」を極力回避するためだ。

もっとも、そんな機会なんぞほとんどないわけだが…。

故・桂枝雀師匠は「一緒に進んでいこう」と、弟子に“師匠”と呼ばせなかったと聞いたことがある。
「教える」と「教わる」は異音同意とも言われている。
これからはそうした姿勢がより明確に求められるのかもしれない。

一連の騒動から、教育の必要性を改めて考えさせられた。
カイロプラクティックに関して言えば、尚更だ。

何とかしないとね…。

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