個人的な楽しさを引っ張り続けているようで恐縮だが、も少し中学の集まりの話。
というのも、カイロプラクティックの現状というものを改めて考えさせられる体験が出来たからだ。
私達はカイロプラクターとして、まずはカイロプラクティックを正しく知ってもらいたいとの思いがある。
それには、まず体験してもらい、そこでの説明で理解を深めてもらうことが最も重要かつ効果的と考えていた。
ただ、そこに至るまでには、もう1ステップ踏まなくてはいけないことに気づかされた。
まずは約25年ぶりに再会した同級生の言葉である。
『どういう時に行ったらいいの??』
「カイロプラクティック=腰痛屋さん」というイメージは結構広まっているようだ。
首に関しても有効であると、腰ほどではないものの知られてはいるらしい。
また、各オフィスのHPでも適応となる症状についての記されているのが一般的だ。
例えば、「腰の痛み」「首の痛み」と同じく「背中の痛み」を挙げてあるオフィスも多いかと思う。
この「背中の痛み」が自分の持つ症状に当てはまるのかどうかが分からない。
分からないから、どうしても二の足を踏んでしまうらしい。
また、カイロプラクティックにはボキボキと音をさせるイメージが強い。
その音の根源として、背中の中心にある背骨を連想させる。
その為、肩甲骨周りの痛みなどは別物として、勝手に除外してしまうらしい。
ほーーーー、そんなモンですか…。
こういう感覚は、少なくとも私の中ではあり得ない。
皆が皆、このような発想であるとしたら、私は一生気がつくことはできなかったかもしれない。
何か、目からウロコ…といった感じである。
[2回]
他にもこんな質問があった。
『やっぱり最初はレントゲン写真を撮って、それから治療になるの??』
内心かなりビックリした。
ホントのホントで、実際はこんなレベルからスタートしているのかもしれない。
だとすれば、整体やらマッサージやらと同等に考えられても、何の不思議でもない。
確かに、整体でも鍼灸でもマッサージでも、適応症状として書かれている文言は大体同じである。
細かく見れば違いはあれど、実際そこまで注意深く読んでいる人の方が少ないだろう。
同じようなことが書いてあるのだから、同じようなモノと扱われても当然ではないか。
もちろん、キチンと説明させてもらった。
その上で、疑問を解消しなければならない。
カイロプラクティックを知らない人からすれば、まずは根本的な疑問が生じる。
つまり、写真も見ずに、カイロプラクターが触るだけでいろいろ分かると言う、それ自体が信じられないのだ。
それ故、レントゲン写真云々の件は、言わば自らに対する保険なのである。
結局は、カイロプラクティックそのものがまず解っていない。
残念ながら、その一言に尽きる。
解っていないのだから、それをいつどのタイミングで利用していいのかなんて、解ろうはずもない。
多くの先生のサイトで、いわゆる症例報告というものをよく見かける。
個人的には、「載せて何の意味があるんだろ??」と、その意義が解らずにいた。
内容としても小難しいし、科学的根拠の証明として挙げているのかとも考えていた。
何よりも、そんな細かい中身まで誰が読むものなのか、非常に不思議に思っていたのだ。
しかし、今回のこうした疑問・質問を受けて、「なるほど」と考えさせられた。
いくつかある症例を見ることで、自分の状態により近いケースが見つかるかもしれない。
それが成功例であれば、それはそのままその先生の実績となる。
状態が思わしくない人からすれば、まるで救世主に巡り合ったかのように、期待も高まるに違いない。
ただ、そこからカイロプラクティックがすごいモノと勘違いされては困る。
カイロプラクティックのすごさは、各人の持つ自然治癒力を回復させるところにある。
サブラクセーションという原因の除去が仕事であり、症状の改善には直接関与はしない。
もっとも、一般の人や利用者からすれば「そんなんどうでもいい」ことなのだろう。
だからこそ、カイロプラクターはもっともっとこだわらなくてはいけないのではないかと思う。
カイロプラクターとして、、カイロプラクティックを説明するのはもちろんのことである。
ただ、それ以上に、プライマリー・ケアとしてのカイロプラクティックをもっと説いていく必要がある。
日々の生活において、カイロプラクティックはより身近なモノとして存在している。
そのことをまずは理解してもらわなくてはいけないのだ。
カイロプラクティックをもっと知って、理解してもらいたい。
仮に知ってもらえたかに思えても、その実にはかなりのギャップがある。
求められるべきは、利用者レベルでの啓蒙なのである。
この度はいい勉強をさせてもらった。
勉強料として、特別料金にさせてもらうことにしよう。
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