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ここ数年、サッカー国際大会がある度に、渋谷の駅前がクローズアップされている。
数ヶ月前もそうした話題がニュースやワイドショーで取り上げられていた。

何故かと言えば、試合終了と共に何処からともなく現れ、騒ぎ続ける連中がいるからだ。
海外で見られる“フーリガン”程凶悪でもなさそうだが、報道を見て知る限りでも十分邪魔に思える。

そうした連中を容認する向きもあれば、断固否定する向きもある。
特に、Jリーグ発足前後あたりから“支えてきた”という自負がある人ほど手厳しい対応を取るような気がする。
「あいつらはファンでもサポーターでも何でもない!!」と。

確かに、試合の結果関係ナシに騒いでいるように思えるし、実際そういう連中もいるのだろう。
そいつらの粗相によって、せっかく定着したサッカーのイメージが悪くなってしまっては、それこそたまったものではない。
その感情は理解できる。

ただ、頑なに否定し続けるその姿勢にも少なからずの違和感を覚えてしまう。

拍手[9回]

と、ここで唐突にカイロプラクティックの話。

カイロプラクターは様々な視点から大まかな分類分けができる。
例えば、ストレートに対するミキサー、国際基準と専門学校卒、そしてD.C.とNon-D.C.といった感じだ。
皆が皆そうであるわけではないが、よく見受けられる態度は以下の通りである。

ストレートの先生はミキサーの先生に対して冷たい。
国際基準組はそれ以外の先生方に冷たい。
D.C.はNon-D.C.、特に国際基準組に冷たい。

“それ以外の先生方”の中には“私塾”にて短期でテクニックのみを学んだという人たちも含まれる。
言うなれば、カイロプラクターならぬ“にわか”カイロプラクターである。
このあたりに対してとなると、時間と労力をかけて学んできたカイロプラクターは相手にもしないため、冷たいどころの話ではない。

カイロプラクティックの施術と称して問題を起こすのは、大抵がこの“にわか”レベルの連中だと認識している。
サポーターと称して、サッカーの試合終了後に渋谷で騒ぎ暴れている連中と大差ない。

こうした連中に対し、一生懸命な人ほど頑なな態度を取りがちに思える。
そこには、自分たちだけは本道であり、王道だとい勝手な思い込みがあるのだろう。
“勝手な思い込み”などと書くと怒られてしまうかもしれないが、個人的にはそう感じてしまう。

そもそも、誰でも最初は“にわか”か、それに毛が生えた程度からスタートするのではないか。
実際、“にわか”から始まってD.Cになった先生も相当数おられるように思う。

興味を持ち始めた最も楽しいタイミングで、「まだまだだな」とか「一緒にするな」などと上から目線で言われてしまってはたまったものではない。
「別にお前らに認めてもらう筋合いはねぇんだよ」と、逆の反発が起こりかねない。

本来であれば、“にわか”連中をも取り込んでしまうくらいでないといけないはず。
にもかかわらず、自分の手に負えないと判断した途端、自分に対しての予防線を張った上で、もっともらしい批判をかます。
しかも、そのきっかけを自らでまねいてしまったとしても…である。

くだらねえ話である。
もはやカイロプラクティックやサッカー云々の話ではない。
相手を認めようとしないどころか、その器の小ささに問題があることすら認めようとしない。

それは単に、そうした態度をとる本人にそれだけの魅力がない、実力がないだけのことだ。
会社組織における年功序列での昇進した部長・課長クラスの連中同様、滑稽且つ哀れな者達なのだ。

飲み会などで、上司や先輩に何かしらの魅力があれば、予定を飛ばしてでももっと話が聞きたい・聞き出したいと思うのが当然。
それを、たまたま手に入れた上の地位にふんぞり返って見下しながら物言いをしてしまうから、誰もついてこなくなる。
「もう一軒行こう!!」と誘って断られるのは、おそらくそういうことだろう。

まず上に立つ者が下に降りていかなければ始まらない。
というより、そうしなければ現状の正しい認識は不可能だと思う。

カイロプラクティック界にも何人かのスターは存在する。
が、その多くは下に降りること拒んでいるかのような姿勢を見せているように思える。
「用があるなら上がってこい」と。

ライオンの如く、這い上がってきた者だけを育てるという方針は一見正しい。
しかし、その現実は下に降りるでもなければ、手を差し伸べるでもない。
それ相応の脚立を下に放り投げるだけだ。

ロープやはしごといった、それなりの難しさも与えずに、脚立で上がってきた者達も遅ればせながらそのまま野に放つ。
愛も知恵も無くして、生き残れる訳がない。
残念ながら、日本におけるカイロプラクティックの教育はこんな感じである。

あらゆる意味合いで、愛のある教育者が求められる。
そうした人材がことカイロプラクティック界においては絶対的に欠けているように思えてならない。

自己愛と偏屈さの度合いが異常に強いこの業界、それぞれの抱く愛の形もまた歪んでいる。
業界のサブラクセーションには一切アジャストを施さず、自然治癒力任せの放置プレイ。
結果、“にわか”の存在を許す形となり、“カイロプラクティック”の名前だけが知られるようになった。

世に“にわか”が出るということは、そのモノ自体が世間一般的にメジャーになる過渡期にあることを示している。
ここで“にわか”を無下に否定すれば、従来からのスタイルは貫けるかもしれない。
その代わり、まず間違いなくマイナーへと降格する。

それでいいのか??って話だ。

ストレート、ミキサー、国際基準、D.C.、Non-D.C.、専門学校卒…
それぞれの立場だけでなく、日本のカイロプラクティックの在り方まで見据えた上で、一度冷静に考えてみるといい。
きっとどこかに接点があり、そこから自ずと結果は出てくるはずだ。

正しいことをやっているのに、結果が出ないことがある。
その場合、そのやり方が間違っているケースがほとんどである。
にもかかわらず、「時間が解決してくれる」とか言ってのけるのは、愚の骨頂としか思えない。

自分やその周りだけで安く酔っ払って盛り上がるカイロプラクティック業界。
そろそろ酔いを醒まして傍からの視線に気づいてもいい頃だと思うのだが…。


<追記>
このお題が書き終わった直後、カイロプラクティックに関する苦情等の特集が某ニュース番組にて放映された。
念のため書いておくが、番組内で“問題アリ”として取り上げられていた連中は、ハッキリ言って“にわか”でも何でもない。
もちろん、カイロプラクターであるはずもない。

この件に関しては、なるべく近いうちに書き記しておきたいと思っている。
カイロプラクティックに関して、くれぐれも誤解の無きように。

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