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カイロプラクター
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個人的な楽しさを引っ張り続けているようで恐縮だが、も少し中学の集まりの話。
というのも、カイロプラクティックの現状というものを改めて考えさせられる体験が出来たからだ。

私達はカイロプラクターとして、まずはカイロプラクティックを正しく知ってもらいたいとの思いがある。
それには、まず体験してもらい、そこでの説明で理解を深めてもらうことが最も重要かつ効果的と考えていた。
ただ、そこに至るまでには、もう1ステップ踏まなくてはいけないことに気づかされた。

まずは約25年ぶりに再会した同級生の言葉である。

『どういう時に行ったらいいの??』

「カイロプラクティック=腰痛屋さん」というイメージは結構広まっているようだ。
首に関しても有効であると、腰ほどではないものの知られてはいるらしい。
また、各オフィスのHPでも適応となる症状についての記されているのが一般的だ。

例えば、「腰の痛み」「首の痛み」と同じく「背中の痛み」を挙げてあるオフィスも多いかと思う。
この「背中の痛み」が自分の持つ症状に当てはまるのかどうかが分からない。
分からないから、どうしても二の足を踏んでしまうらしい。

また、カイロプラクティックにはボキボキと音をさせるイメージが強い。
その音の根源として、背中の中心にある背骨を連想させる。
その為、肩甲骨周りの痛みなどは別物として、勝手に除外してしまうらしい。

ほーーーー、そんなモンですか…。
こういう感覚は、少なくとも私の中ではあり得ない。
皆が皆、このような発想であるとしたら、私は一生気がつくことはできなかったかもしれない。

何か、目からウロコ…といった感じである。

拍手[2回]

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以前も少し触れたが、小学校時代のクラス会に続き、中学の同窓会があった。
そして、その延長として、花見を兼ねた同窓会が催された。

残念ながら、折からの冷え込みにより桜も見頃には程遠かった。
しかし、人によっては30年ぶりの再会。
昔話には大きな花が咲いた。

会話の合間、無意識のうちに1人1人の立ち姿勢を見ている自分がいる。
これはもう、一種の職業病だ。
ただ、あいにくの天気で各人が着込んでいたため、姿勢のラインをハッキリと見ることはできなかった。

それでも、身体の使い方などから、「問題がありそうだな…」と思える者も何人かいた。
そのうちの1人からは相談を持ちかけられ、今度正式に担当する運びとなった。

当然のように、特別料金である。
ふっ…。

拍手[3回]

私はタバコを吸わない。
人生において喫煙はおろか、タバコを口に咥えたことさえない。
しかし、以前パチンコ屋やゲームセンターに入り浸っていた時期があるため、煙もさほど気にはしなかった。

アメリカ生活を経て日本に戻り、10数年ぶりに居酒屋に入った時、あまりの煙たさに面食らってしまった。
こんな環境で飲み食いしてたのか…と思い愕然としたのを覚えている。

思えば、アメリカは喫煙に対して厳しかった。
分煙は徹底されており、レストランでは入店時に必ず喫煙の有無を尋ねられた。
カリフォルニア州ではレストランが禁煙だったので、尋ねられることさえなかった。

カリフォルニア州は後にバーを含めた飲食店全てで禁煙とする法律が施行されるに至った。
「そこまでするの??」と無関係ながら思ったものである。
マクドナルドはもちろん、スターバックスでさえ禁煙なのだ。

そんな訳で、食事時に煙を共にすることはほとんど無いに等しかった。
前述の落胆はそれ故のものである。

煙草に対する厳しい規制はグローバルな展開をみせるようになった。
日本も決してその例外ではなく、愛煙家に対する風当たりは厳しくなる一方である。

神奈川県では先日、海岸やビーチでの喫煙が禁止される条例が可決された。
罰則が無いので、どこまで徹底できるのかは疑問ではある。
前述以上に「そこまでするか??」という感が強い。

この流れ、どこまでエスカレートするのだろう…。

拍手[1回]

先日、小学校時代のクラス会を企画したことは以前触れた。
その後、中学の同窓会があり、一番仲が良かったと言っても過言ではない男と約20年ぶりの再会を果たした。
お互いにかしこまることもなく、空白の時間は忘却の彼方へと消え去っていた。

小学校もそうだが、中学時代の連中もまた保存が良い。
私を筆頭にデブはいるにしても、ツルっぱげがいない。
薄くなっているのも少数派で、イイ感じの白髪が多かった。

子供の話を除けば、男女共通の話題となるのが、老眼の有無である。
止むを得ないとはいえ、哀しい話だ。

そんな中、当然のようにカイロプラクティックの話題が出た。
そう、私を知るものであれば、「カイロプラクティック」の名前だけは30年以上前から知っているのである。
大人になって、カイロプラクティックはより現実味を帯びたモノとなっているわけだ。

もちろん、中には「マッサージの延長」のような捉え方をしている者もいた。
アルコールに浸かった脳に説明しても、単に場の空気を悪くするだけで、何の価値もない。
時間をかけて追々教育する。

ふふ。

拍手[2回]

私はこれまで、それなりの時間をかけてカイロプラクティックを勉強してきた。
カイロプラクターになるまでに費やした時間に関してだけは、他の追随を許していないと思う
学校にしても、大学レベルでいくつかを渡り歩いてきた。

普通であれば1校で済ませるところであるから、何の自慢にもならない。
しかしながら、一口で言う「カイロプラクティック」とそのフィロソフィーが多様であることを、実際に肌で感じることが出来た。
これは、何にも勝るであろう、私だけの経験だ。
それこそ、何人足りとも追随は許していないはずである。

ほとんどのカイロプラクターが1つの学校で勉強を始め、修了していく。
カイロプラクティック・フィロソフィーに関しても、まずはその学校を通して初めて触れることとなる。
後は本やテキストによる独学と、先輩である先生方を通しての臨床から得られる影響が大きい。

様々な捉え方・考え方を消化・吸収することで、自分なりのフィロソフィーが確立されていく。
自分なりのフィロソフィーがあって初めて、愛のあるアジャストメントが出来ると、個人的には考えている。
ストレート・カイロプラクターからすれば苦笑モノの発言かもしれないが、それで良いと思う。

ただ、いくら「自分なり」とはいえ、カイロプラクティックそのもののフィロソフィーを歪めてはならない。
「時代によって変化して然るべきモノ」と言う人もいるが、私には都合のいい詭弁としか聞こえない。
この点に関しては、ストレートもミキサーも関係なく、共通の認識であるべきだ。

これらを踏まえた上で、インターネット上におけるカイロプラクティックの現状を考えてみる。

拍手[1回]

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